宋史演義第二回 異僧に遇い辛くも迷途を示さる/強敵を掃い渠帥を連ねて擒う (遇異僧幸示迷途 掃強敵連擒渠帥)
空空和尚との対話
寺の老僧は名を「空空和尚」と名乗り、匡胤が夾馬営の香孩児であり将来大きな福運があることを見抜く。匡胤が今後の進路を問うと、老僧は「北へ進めば奇遇に恵まれる」と告げ、路銀や食事を与え、翌日まで引き止めてもてなす。別れ際に「遇郭乃安、歴周始顕、両日重光、囊木応讖」という十六字の予言を授け、太平の世が来たら再会しようと約束する。
郭威の軍に投じる
匡胤は北へ進み、漢水を渡った先で「郭」の旗を掲げる大軍営を見つけ、老僧の予言を思い出して投じる。営の主は後周太祖となる郭威で、当時はまだ後漢の枢密副使として李守貞ら三鎮の反乱討伐に向かう途上だった。郭威は匡胤の器量を見込み、配下に加えて西征に従わせる。
後周に仕え、高平の戦いで功を立てる
李守貞討伐後、匡胤は郭威に従い各地を転戦するが、なかなか推挙されない。郭威が後漢を廃して後周を建てると、匡胤は少しずつ昇進し、世宗(柴栄)の代には禁軍を統べる立場となる。北漢主劉崇が遼と結んで高平に攻め込んだ際、周軍の一部将(樊愛能・何徽)が寝返って漢に降る混乱が起きるが、匡胤は「主の危急に臣たる者が傍観できるか」と将兵を鼓舞し、自ら先頭に立って敵陣に突入、周軍を勝利に導いた。この功により都虞侯・厳州刺史に抜擢される。
清流関の奇襲
世宗が南唐征討に出ると、匡胤も従軍し、正陽・清流関で連勝を重ねる。南唐の皇甫暉・姚鳳が十余万の兵で清流関に籠もると、匡胤は自ら二千の兵を率いて夜襲を志願、旗鼓を伏せて進軍し、夜明け前に守備の隙をついて関を陥落させた。逃げる皇甫暉・姚鳳を追って滁州まで追撃し、濠を馬で飛び越えるほどの勢いを見せる。
滁州城下の決戦
皇甫暉が一騎打ちを申し出て匡胤が受けると見せかけたところ、約束の刻限に周軍が突入して混戦となり、匡胤自ら皇甫暉に一撃を与えて落馬させ、姚鳳ともども生け捕りにした。
評語
正史によれば、太祖は襄陽の寺で術数に通じた老僧に出会い、北行を勧められ路銀を与えられたが、その老僧の姓名は伝わっていない。本回はその老僧の口を借りて後の展開の伏線を張っており、前後の呼応が巧みである。後周に仕えて以降の功績のうち、高平・清流関の二役は特に詳しく描かれており、宋太祖の基盤がここに築かれたことを示す実証的な叙述になっている。