樵史通俗演義第十五回 風雲に応じ衆正斉しく糾し、雷霆震い巨奸南に竄る (應風雲眾正齊糾 震雷霆巨奸南竄)

魏忠賢の追い詰められる日々

  • 江西官が魏忠賢の頌徳祠を建てようとしたが、忠賢自ら慌てて上表し、祠の費用を遼餉に充てるよう申し出て崇禎帝の許可を得た。
  • 工部の陸澄源が四か条にわたり時弊を指摘(士風の腐敗、崔呈秀の姦邪、民生の疲弊、無用な生祠による国費の浪費)する上奏を行うが、崇禎帝は即位間もないことを理由に軽い処分にとどめた。
  • 吏部主事錢元愨が魏忠賢の悪事を王莽・梁冀・董卓・趙高らの故事になぞらえて激しく弾劾。崇禎帝の返答はやや厳しさを増した。
  • これを見て魏忠賢の一党(吳淳夫・李夔龍・田吉・阮大鋮・田爾耕・許顯純・崔應元・楊寰ら)が次々に辞職・帰郷を願い出て許可された。

客氏との別れの嘆き

  • 権勢を失った魏忠賢と客氏が互いの窮状を嘆き合う場面。客氏は寵愛した若者たちが逃げ去ったことを愚痴り、魏忠賢は爵位の返上すら思案するが決断できず、二人で嘆き悲しむのみであった。

錢嘉徵の十大罪弾劾

  • 貢生錢嘉徵が魏忠賢の十大罪(並帝・蔑后・弄兵・無君・克剝・無聖・濫爵・濫恩・役民・通関節)を列挙して痛烈に弾劾する上奏を行う。通政司の呂圖南も自らの潔白を示しつつこれを取り次いだ。
  • 崇禎帝はこれを機に世論を見極めつつ独断で処断する意志を示し、諂い者の陸萬齡・李暎日を処罰した。

魏忠賢の失脚

  • 魏忠賢は自ら病を理由に廠印の辞退を願い出て許可され、私邸に退いた。爵位も公・侯・伯から錦衣衛の各官職に格下げされた。
  • さらに誥券・田宅の返上まで願い出るが、崇禎帝の態度は好転せず、諸臣による弾劾(崔呈秀・田爾耕・許顯純・倪文煥・阮大鋮・劉志選・潘汝楨らへの追及)が相次いだ。
  • 崇禎帝は密かに調査を進め、魏忠賢の罪状(貴人殺害、成妃の廃位、中宮への圧力、大臣の排斥、言官の追放、忠良の獄死、兵権の掌握、財産の私物化、先帝崩御時の矯詔など)をことごとく確認し、ついに激怒。崔呈秀は九卿による審理、魏忠賢は鳳陽への左遷が命じられた。
  • 魏忠賢を庇おうとした徐應元も崇禎帝に見破られ、杖刑ののち南京へ追放された。

鳳陽への配流

  • 絶望した魏忠賢は財宝を車四十台に積み、私兵七、八百人を引き連れて出発しようとする。李永貞は目立つ行列を諫めるが、魏忠賢は聞き入れなかった。
  • 出立の日、見送る者はわずかに恩を受けた宦官百余人のみで、朝廷の官員は誰一人として姿を見せなかった。

評語

  • 巻頭の詩は「君子は君子として全うし、奸臣は虚しく奸臣に終わる」として、権勢を誇った忠賢の没落を落日の荒涼たる光景に重ねて詠む。
  • 巻末の詩は、意気消沈し孤立無援となった魏忠賢の姿を、再び帝闕を仰ぐ日があるかも知れぬ望みも儚いものとして結んでいる。