樵史通俗演義第十三回 居摂を図る奸謀測り難く、心腹を构え密計成らず (圖居攝奸謀叵測 构心腹密計無成)

生祠の乱立と兵権の掌握

  • 魏忠賢の生祠が各地に続々と建てられ、財政と民力を圧迫した。
  • 忠賢は腹心の宦官(劉應坤・陶文・紀用ら)を海外の軍務要職に配置し、遼東の軍権を牽制。太倉・河漕など国家の要の財政・物流も宦官に押さえさせ、実権を固めていった。
  • 毛文龍への恩賞を厚くし、天津・皮島にも腹心を配して軍需を送り込み、着々と実力を蓄えた。
  • 信王(後の崇禎帝)の婚儀を進める一方、瑞王・惠王・桂王を早々に藩地へ遣わそうとするなど、皇族を遠ざける策も進めた。

徽州の民変

  • 呂下問が抄没した吳養春の黄山を差配するため徽州へ赴くが、賄賂を使い強引な買い上げを行ったため民衆三千人が蜂起。呂下問は命からがら逃げ隠れ、寵妾は捕らえられて辱めを受けた。事件は地方官の取りなしで収拾されたが、呂下問は罷免された。

皇陵火災と辺境の戦勝

  • 皇陵で火災が起き四十余里が焼失したが、魏忠賢は管理宦官を軽く罰しただけで済ませた。
  • 遼東で趙率教・満桂・袁崇煥らが連戦連勝を報告。魏忠賢はこれを自らの功に取り込み、恩賞を求める動きを強めた。

阿諛追従の極み

  • 鄭芝龍の乱を招撫で鎮めた功も魏忠賢に帰せられ、諸臣が競って忠賢を王に封じるよう上奏。「九千歳」と称える者まで現れ、党籍碑を刻んで正人を貶めようとする動きも起こった。

天啟帝の危篤と居摂の陰謀

  • 天啟帝が八月に重病となり、魏忠賢は漢の王莽・董卓、魏の曹操の故事に倣って居摂(摂政)を狙う野心を抱く。腹心を戸部・工部に送り込み、要職を占拠しようとした。
  • 閣老らに「皇后垂簾聴政」を持ちかけたが、施鳳来ら閣老は前例のなさを理由に断固反対。魏忠賢は不興を露わにした。
  • 結局「魏忠賢暫理萬幾」との詔を強行しようとするも決断できず、進退窮まった様子が描かれる。
  • 崇禎への大量の加官・恩蔭が乱発される中、天啟帝はついに崩御。
  • 魏忠賢は崔呈秀を呼び込もうとするが、閣老黄立極・施鳳来らが「信王を天子に迎えるほかない」と公然と宣言し、崔呈秀は面目を失って動けなくなった。

評語

  • 巻頭の詞・詩は、忠佞相半ばする世の是非を淡々と記そうとする作者の姿勢を示す。
  • 巻末の詩は、魏忠賢が居摂を企てながらも果たせず、進退窮まって心焦り慌てふためく様を、藩籬に触れた牡羊や熱鍋の蟻に喩え、その醜態を描き出したものである。