樵史通俗演義第十一回 衆正、囹圄に再び毒に遭い、異災京邸に忽ち殃飛ぶ (眾正囹圄再遭毒 異災京邸忽飛殃)

范景文の上疏と辞退

  • 河間府吳橋縣出身の范景文は東昌府推官として清廉な政治で知られ、吏部主事を経て天啟五年に魏忠賢から人材招致を受けるが、父の勧めもあり自らの信念を曲げなかった。
  • 上京後、官吏登用の公正を求める上奏を行い、天啟帝からも一定の評価を得たが、魏忠賢に取り入る者が多い中、范景文は距離を置いた。
  • 周宗建・繆昌期らが既に投獄されたのを見て心を痛め、大選(人事異動)の際に私的な口利きの依頼が殺到したことに憤慨し、舌を噛んで昏倒するという事件を起こす。
  • 太医の診断を受け、病を理由に辞職を願い出て、閣老朱延禧の取りなしでようやく帰郷を許された。轎の中で望郷と憂国の詩を詠んだ。

正人たちへの拷問

  • 李応升・周順昌・黄尊素が相次いで京師に召還され投獄される。周起元は福建にいて未着。
  • 魏忠賢は寧遠での戦功を口実に一派の恩賞を拡大し、権勢をさらに強めた。
  • 許顯純が周宗建・繆昌期を過酷に拷問し、続いて周順昌・李応升・黄尊素にも厳しい取り調べを行う。周順昌は最後まで魏忠賢一派を罵り続け、歯を砕かれ額を割っても屈しなかった。

怪異の予兆

  • 都城隍廟で監生の施元善が、神々が官吏の名を点呼する不思議な光景を目撃する。何廷樞・潘雲翼ら実在の官員の名が呼ばれていた。
  • 前門の城楼に青い光が集まる怪異、陳吏目の夢に亡魂の裁きの場が現れるなど、不吉な前兆が続いた。
  • 欽天監の周司歴が地鳴りの凶兆を奏上したところ、魏忠賢は妖言として彼を廷杖百で打ち殺させた。

王恭廠の大爆発

  • 五月初六、後宰門の火神廟で怪音や火神像の異常な動きが起こった後、王恭廠付近で大爆発が発生。京城の広範囲が瓦礫と化し、数万戸・数万人が犠牲になったと伝えられる。
  • 屯院何廷樞は一家もろとも埋没し、愛妾のみ救出された。潘雲翼の夫人は持仏堂にいて無事だった。顧閣老の妾も裸で逃げ惑い、閣老自ら助けた。
  • 総兵や女轎の一行が地中に消える、首が飛ぶ、衣服が吹き飛ばされ多数の裸の女性が街をさまようなど、凄惨な光景が語られる。
  • 天啟帝も乾清宮から交泰殿へ避難する途中、随行の宦官が瓦の落下で死亡するなど混乱を極めた。多くの大臣の轎も被害を受けた。
  • 遠く西山にまで衣類が吹き飛ばされるなど、被害の規模は広範囲に及んだと記される。

正人たちの死

  • 天変を恐れた魏忠賢は許顯純への取り調べの督促を一時緩めたが、拷問は続けられ、繆昌期はついに獄死。丁紹軾も魏忠賢の毒により急死した。
  • 六月、周宗建・周順昌が獄卒の手により死去。閏六月には黄尊素、望日には李応升も相次いで獄死する。
  • 周起元だけが福建からの護送が遅れ、まだ命脈を保っていた。

評語

  • 巻末の詩は、天が奸党を生んだのは悪を除かせる意図であったのに、逆に忠良を除くこととなったと嘆き、王恭廠の大災害を天の怒りの表れと見なす。男女を問わず多数が非業の死を遂げた惨状を悼み、奸璫の悪行がついにこの禍を招いたと結んでいる。