樵史通俗演義第十回 校尉を斃し姑蘇義を仗み、緹帥を走らせ江上に厄を解く (斃校尉姑蘇仗義 走緹帥江上解厄)

六君子後も続く弾圧

  • 六君子の獄死後、朝廷では誰も魏党に逆らわず、義子・義孫たちが次々と正人君子を陥れた。孫居相・梅之煥・楊鶴・崔景栄ら多数が削職・追贓の処分を受けた。
  • 中書舎人の呉懐賢が楊漣の疏に共感を示しただけで、妻子ともども拷問死させられる事件が起き、朝野は震え上がった。
  • 魏広微も魏忠賢への贈答を怠ったことで失脚させられ、詩を書いただけの僧・知府劉鐸まで捕縛される事態となった。

李実の誣告と六名の逮捕命令

  • 魏忠賢は義子曹欽程に周起元らを陥れさせようとしたが、曹欽程自身が不正で弾劾され失脚。代わりに蘇杭織造太監の李実の名を借り、周起元・周順昌・高攀龍・李応升・黄尊素を「邪党」として逮捕する命令を下させた。
  • 折しも寧遠で袁崇煥らが東軍を撃退した戦功も、魏忠賢は自らの功として利用した。

高攀龍の投水自殺

  • 校尉が無錫の高攀龍を逮捕に向かうと、高攀龍は大臣として辱めを受けることを恥じ、遺表を残して自ら河に身を投げて果てた。

蘇州の民変(開读事件)

  • 校尉が蘇州の周順昌を捕らえに来ると、民衆は彼の人望を惜しみ、数千人が香を手に取り囲んで嘆願した。
  • 都堂毛一鷺は周順昌を各所に匿ったが、群集はさらに膨れ上がり、秀才の王節らが撫按に直訴した。
  • 開読の当日、群衆は数十万に達し、校尉が「東廠の命令だ」と威嚇したのに対し、顔佩韋・馬傑・楊念如らが先頭に立って反発し、ついに校尉に暴行を加えて二名を打ち倒す騒動となった。
  • 兵備張孝・知府寇慎らのなだめによって群衆はようやく解散したが、校尉たちは面目を失い右往左往した。

黄尊素護送の校尉も襲撃される

  • 黄尊素を護送する校尉は途中で不当に金品を要求し続けたため、蘇州で民衆二千余人に襲われ、船を焼かれて命からがら逃げ、駕帖も失った。

李応升の連行

  • 無錫で校尉が去った後、李応升は蘇州の騒動を聞き、母に別れを告げて出発。道中、駅舎の壁に残る先人の詩に感じ入り、自らも死を覚悟した詩を詠み、友人徐元修に伝記の執筆を託した。
  • 李応升は上司の命により北京へ護送されていった。