晉書卷九十四 列傳第六十四 董養

董養

  • 董養、字は仲道、陳留浚儀の人。泰始初年、洛陽に来たが、禄を求めず栄達を望まなかった。楊后(楊芷)が廃された際、養は太学に遊学していたが、堂に登って嘆じた。「この堂を建てたのは、いったい何のためか。国家の赦書を見るたびに、謀反大逆でさえ赦されるが、祖父母・父母を殺した者だけは赦されない。それは王法が許さないところとされているからだ。それなのに公卿たちが議論し、礼典を飾り立てて(皇后廃立を正当化し)このような事態に至らせるとは、どういうことか。天と人の道理は既に滅び、大乱が起ころうとしている」と述べ、『無化論』を著してこれを非難した。
  • 永嘉年間、洛陽城東北の歩広里で地面が陥没し、二羽の鵝が現れた。灰色の方は飛び去ったが、白い方は飛べなかった。養はこれを聞いて嘆じ「昔、周の時代に会盟した狄泉とはこの地のことだ。今ここに二羽の鵝が現れ、灰色は北方の異民族の象徴、白色は国家(晋)の象徴である。これで多くを語らずとも分かるだろう」と言い、謝鯤・阮孚を振り返って「『易』に『機微を知るは神なるかな』とある。諸君は深く身を隠すべきだ」と語った。そして妻とともに荷物を担いで蜀へ入り、その最期を知る者はいなかった。