朱沖
- 朱沖、字は巨容、南安の人。若くして至高の徳行があり、静かに欲少なく、学を好みながらも貧しく、常に農耕を生業とした。隣人が子牛を失い、沖の子牛を自分のものと誤認して連れ帰ったが、後に林の中で本物の子牛を見つけ、大いに恥じて子牛を沖に返したが、沖はついに受け取らなかった。牛が彼の作物を荒らしたことがあったが、沖はたびたび飼葉を牛の持ち主に届け、恨む様子を見せなかった。持ち主は恥じ入り、それ以来牛を放し飼いにしなくなった。
- 咸寧4年(278年)、詔により博士に補されたが、沖は病と称して応じなかった。まもなく再び詔が下り「東宮の官には至高の徳行を実践し典籍を篤く楽しむ者を得るべきである。沖を太子右庶子とせよ」とあった。沖は召命が届くたびに深い山へ逃げ込み、当時の人々は彼を梁鴻・管寧の流れと見なした。
- 沖は異民族の風俗に近い地に住んでいたが、羌・戎の人々は彼を君主のように敬った。沖もまた礼と譲りを教えとし、村里はその感化を受け、道に落ちた物を拾う者はなく、村に凶悪な者はなく、毒虫や猛獣も害をなさなかった。天寿を全うして没した。