晉書卷十八 志第八 律曆志下
楊偉、暦法改革を上表(景初暦の由来)
- 魏の尚書郎楊偉が上表した。少昊の代は玄鳥氏が分至を司り、顓頊・帝嚳の代は重黎が天を司り、唐堯・虞舜の代は羲和が日を掌り、夏・殷・周の三代もこれに倣って世々「日官」を置いた。日官は暦を司り諸侯に頒布し、諸侯はさらに境内に頒布した。
- 夏后の代、羲和が酒色に溺れて時を廃し日を乱したことは『書』の「胤征」に記されている。周室が衰えて以降、告朔の羊も登臺の礼も廃れ、閏の順序や孟陬(正月)の紀が乱れた。孔子は『春秋』で暦の誤りを譏り、正しい頒朔・登臺の礼を評価することで乱れを正そうとした。
- 秦漢以降、孟冬を歳首、後九月を閏とし、加時が天より後れ蝕が朔からずれる状態が長く続いた。武帝の元封七年に至って初めてこの誤りが悟られ、正朔と暦数を改めて《太初暦》が作られた。建寅の月を正朔、黄鐘の月を暦初としたが、その斗分が多すぎて後に疎らになり、元和二年に《四分暦》へ復した。しかし《四分暦》も蝕が常に晦に生じるようになり、やはり斗分が多すぎることが判明した。
- そこで楊偉は自ら精密な新暦を立てることを提案し、大呂の月を歳首、建子の月を暦初とすべきと説いた。かつて顓頊の代の法を《顓頊暦》、黄帝の代の法を《黄帝暦》と呼び、漢の武帝が改元して「太初」とし《太初暦》と名づけた先例にならい、今回の改元「景初」にちなんで新暦を《景初暦》と名づけるべきだと述べ、その法数の簡明さ・精密さ・省力さを誇った。
景初暦の暦法諸元
- 壬辰以来、景初元年丁巳歳に至るまで積4046(算上)。
- この暦は天正建子・黄鐘の月を暦初とし、元首の歳は夜半甲子朔旦冬至とする。
- 元法:11058
- 紀法:1843
- 紀月:22795
- 章歳:19
- 章月:235
- 章閏:7
- 通数:134630
- 日法:4559
- 餘数:9670
- 周天:673150
- 紀歳中:12
- 氣法:12
- 沒分:67315
- 沒法:967
- 月周:24638
- 通法:47
- 會通:790110
- 朔望合数:67315
- 入交限数:722795
- 通周:125621
- 周日日餘:2528
- 周虛:2031
- 斗分:455
六甲紀の交會差率・遅疾差率
六十干支を1843(紀法)ごとに6つの「紀」に分け、各紀の首の合朔は月が日道の裏にあるとする。 - 甲子紀第一:交會差率412919、遅疾差率103947 - 甲戌紀第二:交會差率516529、遅疾差率73767 - 甲申紀第三:交會差率620139、遅疾差率43587 - 甲午紀第四:交會差率723749、遅疾差率13407 - 甲辰紀第五:交會差率37249、遅疾差率108848 - 甲寅紀第六:交會差率140859、遅疾差率78668 - 交會紀差は103610。1紀分の積月に通数を掛け、會通で割った余りが紀差の数で、これを前紀に順次加えて後紀を得る。加えた値が會通に満たなければ紀首の歳は天正合朔で月が日道の裏、満ちれば表となる(表裏は互いに繰り上がる)。 - 遅疾紀差は30180。1紀分の積月に通数を掛け、通周で割った余りを通周から引いた値が紀差の数で、これを前紀から順次減じて後紀を得る(不足すれば通周を加える)。次元の紀差率は前元甲寅紀差率から順次減じて求める。
朔・弦望・二十四節気・閏月の算出法
- 推朔積月術:壬辰元以来求める年までの年数を紀法で割り、商が入る紀の順、余りが入紀年数。これに章月を掛け章歳で割った商が積月、余りが閏余。閏余が12以上ならその年に閏がある(閏月は中気のない月を正とする)。
- 推朔術:通数に積月を掛けたものを朔積分とし、日法で割った商が積日、余りが小余。積日を60で割った余りが大余で、これにより天正十一月朔日を得る。
- 求次月:大余に29、小余に2419を加える(小余が満ちれば大余へ繰り上げ)。小余が2140以上ならその月は大の月。
- 推弦望:朔の大余に7、小余1744、小分1を加える(小分は2で小余へ繰り上げ)ことで上弦日を得る。さらに加えて望・下弦・翌月朔を得る。月蝕の望では、限数・間限との近さにより算入の基準(望が中節の前後4日以内なら限数、5日以上なら間限)を使い分ける。
- 推二十四氣術:入る紀年に餘数を掛け、紀法で割った商が大余、余りが小余。これにより天正十一月冬至日を得る。
- 求次氣:大余に15、小余402、小分11を加える(小分は氣法、小余は紀法で繰り上げ)ことで次の節気日を得る。
- 推閏月術:閏余を章歳から引き、歳中を掛けて章閏で割った商(余りが半法以上ならさらに1月加える)が、天正十一月から数えた閏月の位置となる。閏には進退があり、中気のない月で判断する。
二十四節気の限数・間限
- 大雪(十一月節):限数1242、間限1248
- 冬至(十一月中):限数1254、間限1245
- 小寒(十二月節):限数1235、間限1224
- 大寒(十二月中):限数1213、間限1192
- 立春(正月節):限数1172、間限1147
- 雨水(正月中):限数1122、間限1093
- 驚蟄(二月節):限数1065、間限1036
- 春分(二月中):限数1008、間限979
- 清明(三月節):限数951、間限925
- 穀雨(三月中):限数900、間限879
- 立夏(四月節):限数857、間限840
- 小滿(四月中):限数823、間限812
- 芒種(五月節):限数800、間限799
- 夏至(五月中):限数798、間限801
- 小暑(六月節):限数805、間限815
- 大暑(六月中):限数825、間限842
- 立秋(七月節):限数859、間限883
- 處暑(七月中):限数907、間限935
- 白露(八月節):限数962、間限992
- 秋分(八月中):限数1021、間限1051
- 寒露(九月節):限数1080、間限1107
- 霜降(九月中):限数1133、間限1157
- 立冬(十月節):限数1181、間限1198
- 小雪(十月中):限数1215、間限1229
沒滅・五行用事・卦用事・日月度の算出法
- 推沒滅術:冬至の積日に小余があれば積に1を加え、沒分を掛け沒法で割った商が大余、余りが小余。60で引いた余りにより前年冬至以後の沒日を得る。
- 求次沒:大余に69、小余592を加える(小余が沒法を満たせば大余へ繰り上げ、小余が尽きれば「滅」となる)。
- 推五行用事日:立春・立夏・立秋・立冬はそれぞれ木・火・金・水の用事の始まる日。その大余から18、小余483、小分6を減じた日が、各四立の前にある土の用事日となる(不足分は60・紀法・氣法を加えて調整)。
- 推卦用事日:冬至の大余に、その小余を6倍したものを加えると《坎卦》の用事日。さらに小余10091を加え元法で繰り上げると《中孚》の用事日。
- 求次卦:大余6、小余967を順次加える。四正の卦はそれぞれの中日の小余を6倍して用いる。
- 推日度術:紀法に朔積日を掛け周天で割った余りを紀法で割った商が度、余りが分。牛宿の前五度から起算し、これが天正十一月朔夜半の日の所在度分。
- 求次日:1日ごとに1度を加える(分は加えず、斗の分を経る際に斗分だけ差し引く)。
- 推月度術:月周に朔積日を掛け周天で割った余りを紀法で割った商が度、余りが分。これが天正十一月朔夜半の月の所在度分。
- 求次月:小の月には度22分806、大の月にはさらに1日として度13分679を加える(分が紀法を満たせば度へ繰り上げ)。冬の下旬、月が張宿・心宿の間にある場合はその旨を注記する。
- 推合朔度術:章歳に朔小余を掛け通法で割った商が大分、余りが小分。これを朔夜半の日度分に加えると天正十一月合朔における日月の合する度となる。
- 求次月:度29、大分977、小分42を加える(小分は通法、大分は紀法で繰り上げ、斗の分を経れば差し引く)。
- 推弦望日所在度:合朔度に7、大分705、小分10、微分1を加える(微分は2で小分へ繰り上げ)ことで上弦日の所在度を得る。さらに加えて望・下弦・翌月合を得る。
- 推弦望月所在度:合朔度に98、大分1279、小分34を加えることで上弦月の所在度を得る。さらに加えて望・下弦・翌月合を得る。
- 推日月昏明度術:日は紀法、月は月周を、近い節気の夜漏に掛け200で割ったものが明分。紀法・月周からそれぞれ明分を引いた残りが昏分。夜半の度にこれらを加えて度を得る。
- 推合朔交會月蝕術:入る紀の朔積分に、その紀の交會差率を加えた余りが、その年天正十一月合朔の去交度分。通数を加え會通で割った余りが翌月の去交度分。朔望合数を各月の去交度分に加えた余りがその月の望の去交度分。去交分が朔望合数以下・入交限数以上であれば、朔は交会(日蝕の可能性)、望は月蝕となる。
- 推合朔交會月蝕月在日道表裏術:入紀朔積分に交會差率を加え、會通の2倍で割った余りが會通に満たなければ、紀首が表なら天正合朔の月は表、紀首が裏なら裏(會通を満たせば表裏が入れ替わる)。
- 求次月:通数を加え會通で割った余りにより表裏が入れ替わる。先に交会があって後に月蝕がある場合、朔が表なら望も表、朔が裏なら望も裏。先に月蝕があって後に交会がある場合はこの逆となる。交会・月蝕が朔望合数以下なら「前交後会」、入交限数以上なら「前会後交」となり、限数に近い場合はあらかじめ注意して観測する。
- 求去交度術:前交後会の場合は去交度分を日法で割った商が卻交度分。前会後交の場合は去交度分を會通から引いた残りを日法で割った商が前去交度。去交度が15以上なら交会があっても蝕とならず、10以下なら必ず蝕、10〜15の間は虧蝕が微少(虧蝕の多少は15を法として計算する)。
- 推日蝕虧起角術:月が外道にある場合、先交後会なら西南角から、先会後交なら東南角から虧け始める。月が内道にある場合、先交後会なら西北角から、先会後交なら東北角から虧け始める。虧蝕の多少はやはり15を法とする。交会が中央で一致すれば蝕は尽きる。月蝕は日の対称位置に生じ、虧ける角の方向は日蝕と逆になる。
月行遅疾度表
一朔望月(27日強)の各日について、月の1日あたりの行度(月行遅疾度)・損益率・盈縮積分・月行分を定める。 - 1日:14度14分、益26、盈初、月行分280 - 2日:14度11分、益23、盈積分118534、277 - 3日:14度8分、益20、盈積分223391、274 - 4日:14度5分、益17、盈積分314571、271 - 5日:14度1分、益13、盈積分392074、267 - 6日:13度14分、益7、盈積分451341、261 - 7日:13度7分、損(数値記載なし)、盈積分483254、254 - 8日:13度1分、損6、盈積分483254、248 - 9日:12度16分、損10、盈積分455900、244 - 10日:12度13分、損13、盈積分410310、241 - 11日:12度11分、損15、盈積分351413、239 - 12日:12度8分、損18、盈積分282658、236 - 13日:12度5分、損21、盈積分200596、233 - 14日:12度3分、損23、盈積分104857、231 - 15日:12度5分、益21、縮初、233 - 16日:12度7分、益19、縮積分95739、235 - 17日:12度9分、益17、縮積分182336、237 - 18日:12度12分、益14、縮積分259863、240 - 19日:12度15分、益11、縮積分323689、243 - 20日:12度18分、益8、縮積分373838、246 - 21日:13度3分、益4、縮積分410310、250 - 22日:13度7分、損(数値記載なし)、縮積分428546、254 - 23日:13度12分、損5、縮積分428546、259 - 24日:13度18分、損11、縮積分405751、265 - 25日:14度5分、損17、縮積分355602、271 - 26日:14度11分、損23、縮積分278099、277 - 27日:14度12分、損24、縮積分173242、278 - 周日:14度13分(小分626)、損25(小分626)、縮積分63826、279(小分626)
交會月蝕の入暦・加時の算出法
- 推合朔交會月蝕入遅疾暦術:入紀朔積分にその紀の遅疾差率を加え、通周で割った余りを日法で割った商が日、余りが日餘。これで求める年天正十一月合朔の入暦日を得る。
- 求次月:1日、日餘4450を加える。求望:14日、日餘3489を加える(日餘が日法を満たせば日へ繰り上げ、27日を超えれば引く。周日の日餘に及ばない場合は1日を減じて周虛を加える)。
- 推合朔交會月蝕定大小餘:入暦日餘に入暦の損益率を掛けて盈縮積分に加減し定積分とする。章歳から入暦月行分を引いた値でこれを割り、盈は本小余から減じ、縮は加える(加えて日法を満たせば加時は翌日、減じて不足すれば前日となる)。月蝕はこの定大小余により日・加時を定める。入暦が周日にあたる場合は別に周日日餘・周日度小分を用いて後定積分を求め、同様に本小余に加減する。
- 推加時:定小余に12を掛け日法で割った商が辰(子から数える)で、朔望の加時の辰を得る。余りを4倍し日法で割ったものが「少」「半」「太」の目安、さらに3倍したものを「強」「弱」の目安とし、強弱を合成して少強・半強・太強・少弱・半弱・太弱・一辰弱などの細分を定める。月蝕の望が中節の前後4日以内なら限数、5日以上なら間限を用い、定小余がそれ以下なら算上で日を定める。
二十八宿度数
- 北方(斗・牛・女・虛・危・室・壁):斗26分455、牛8、女12、虛10、危17、室16、壁9。北方合計98度分455。
- 西方(奎・婁・胃・昴・畢・觜・參):奎16、婁12、胃14、昴11、畢16、觜2、參9。西方合計80度。
- 南方(井・鬼・柳・星・張・翼・軫):井33、鬼4、柳15、星7、張18、翼18、軫17。南方合計112度。
- 東方(角・亢・氐・房・心・尾・箕):角12、亢9、氐15、房5、心5、尾18、箕11。東方合計75度。
- (原文に「表略」とあり、宿度の一覧表は底本で省略されている。)
- 二十四節気の中星は、日の所在によって定める。求める年の二十四節気の小余を4倍したものを法で割った商を「少」とし、余りをさらに3倍して法で割ったものを「強」とし、これを各節気の昏明中星から差し引いて定める。
五星の暦法諸元
五星は木星(歳星)・火星(熒惑星)・土星(填星)・金星(太白星)・水星(辰星)。いずれも遅・疾・留・逆の動きがある。開闢の初め、日月五星は星紀に集まったとされ、日と星が同宿同度で会合することを「合」、合から合までを「終」と呼ぶ。1終の日数と1歳の日数を通分して「合終歳数」「合終合数」を定め、これをもとに合月法・日度法などの諸数を導く。 - 木:合終歳数1255、合終合数1149、合月法21831、日度法2117607、合月数13、月餘11122、朔大餘23、朔小餘4093、入月日15、日餘1995664、朔虛分466、斗分522795、行星度33、度餘1472869。 - 火:合終歳数5105、合終合数2388、合月法45372、日度法4401084、合月数26、月餘20003、朔大餘47、朔小餘3627、入月日13、日餘3585230、朔虛分932、斗分1086540、行星度50、度餘1412150。 - 土:合終歳数3943、合終合数3809、合月法72371、日度法7019987、合月数12、月餘58153、朔大餘54、朔小餘1674、入月日24、日餘675364、朔虛分2885、斗分1733095、行星度12、度餘5962256。 - 金:合終歳数1907、合終合数2385、合月法45315、日度法4395555、合月数9、月餘40310、朔大餘25、朔小餘3535、入月日27、日餘194990、朔虛分1024、斗分1085175、行星度292、度餘194990。 - 水:合終歳数1870、合終合数11789、合月法223991、日度法21727127、合月数1、月餘215459、朔大餘29、朔小餘2419、入月日28、日餘20344261、朔虛分2140、斗分5363995、行星度57、度餘20341361。
五星の合朔・入月日・合度の算出法
- 推五星術:壬辰元以来求める年までに合終合数を掛け合終歳数で割った商が積合、余りが合餘。合終合数から合餘を引いた値により、星の合が往年か合の前の往年か当年かを判じる。残りを合終合数から引いた値が度分。金・水は積合が偶数なら晨、奇数なら夕となる。
- 推五星合月:積合に月数・月餘を掛け、合月法を満たした余りが月餘、商を積月とする。積月を紀月で割った商が入る紀、余りが入紀月。入紀月に章閏を掛け章月で割った商が閏で、これを入紀月から引き歳中で割った余りが入歳月となる(天正から数える)。閏の境目にあたる場合は朔で判断する。
- 推合月朔:通数を入紀月に掛け日法で割った商が積日、余りが小余。積日を60で割った余りが大余で、入る紀により星合朔日を得る。
- 推入月日:通数に月餘、合月法に朔小余を掛けて足し、通法で割り、日度法で割った商が星合の入月日、余りが日餘。朔から数えて入月日を得る。
- 推星合度:周天に度分を掛け日度法で割った商が度、余りが餘。牛宿前五度から起算し星の合する度を得る。
- 求後全月:月数を入歳月に、月餘を余りに加える。合月法を満たせば1月とし、歳中に満たなければその年、満ちれば翌年(閏を考慮)、再び満ちれば翌々年となる。金・水は晨から夕へ、夕から晨へと転じる。
- 求後合朔:朔の大・小余数を合朔月の大・小余に加え、月餘が月を成せばさらに大余29・小余2419を加える。
- 求後入月日:入月日・日餘を加え、日度法を満たせば1日とする。前の合朔の小余が朔虛分を満たせば1日引き、後の小余が2419以上なら29日、満たなければ30日を引く。度は前合の宿次に準じて命じる。
五星の運行(晨夕・遅疾留逆)
- 木星:晨に日と合し伏す。順行16日997832分・行星2度1795238分で晨に東方に見え、日の後ろにある。順で日行57分の11、57日で11度進む。順で遅くなり日行9分、57日で9度進んで留(27日間不動)。逆行に転じ日行7分の1、84日で12度後退して再び留(27日)。再び遅い順行に戻り日行9分、57日で9度、さらに疾となり日行11分、57日で11度進んで日の前に出て夕方西方に隠れる。再び順行16日997832分・行星2度1795238分で日と合する。1終は398日1995664分、行星33度1472869分。
- 火星:晨に日と合し伏す。72日1792615分・行星56度1249345分で晨に東方に見える。順で日行23分の14、184日で112度。さらに遅くなり日行12分、92日で48度進んで留(11日)。逆行し日行62分の17、62日で17度後退して再び留(11日)。再び順の遅、日行12分、92日で48度、さらに疾となり日行14分、184日で112度進んで日の前で夕方西方に隠れる。順72日1792615分・行星56度1249345分で日と合する。1終は780日3585230分、行星415度2498690分。
- 土星:晨に日と合し伏す。19日3847675.5分・行星2度6491121.5分で晨に東方に見える。順で172分の13、86日で6.5度進んで留(32.5日)。逆行し日行17分の1、102日で6度後退して再び留(32.5日)。再び順に戻り日行13分、86日で6.5度進んで日の前で夕方西方に隠れる。順19日3847675.5分・行星2度6491121.5分で日と合する。1終は378日675364分、行星12度5962256分。
- 金星(晨):晨に日と合し伏す。6日で4度後退し、晨に東方に見え、日の後ろで逆行。遅くなり日行5分の3、10日で6度後退。留(7日)ののち順行に転じ、遅で45分の33、45日で33度進む。疾で日行1度91分の14、91日で105度進み、さらに疾で日行1度91分の21、91日で112度進んで日の後ろで晨に東方に隠れる。順42日194990分・行星52度194990分で日と合する。1合は292日194990分、行星度も同じ。
- 金星(夕):夕に日と合し伏す。順42日194990分・行星52度194990分で夕に西方に見える。順の疾で日行1度91分の21、91日で112度、さらに順で日行1度91分の14、91日で105度、さらに遅で45分の33、45日で33度進んで留(7日)。逆行し日行5分の3、10日で6度後退して日の前で夕方西方に隠れる。逆6日で4度後退して日と合する。再合1終は584日389980分、行星度も同じ。
- 水星(晨):晨に日と合し伏す。11日で7度後退し晨に東方に見える。逆の疾で1日1度後退して留(1日)。順に転じ遅で日行8分の7、8日で7度進む。疾で日行1度18分の4、18日で22度進んで日の後ろで晨に東方に隠れる。順18日20344261分・行星36度20344261分で日と合する。1合は57日20344261分、行星度も同じ。
- 水星(夕):夕に日と合し伏す。順18日20344261分・行星36度20344261分で夕に西方に見える。順の疾で日行1度18分の4、18日で22度、遅で日行8分の7、8日で7度進んで留(1日)。逆行し1日1度後退して日の前で夕方西方に隠れる。逆11日で7度後退して日と合する。再合1終は115日18961395分、行星度も同じ。
- 五星暦歩術:伏日度餘を法とし星合日度餘に加えた余りを繰り上げて星の見える日・度餘を求める。星ごとの行分の母を見度分に掛け日度法で割った商が度、加える所行分を日ごとに加算する(母が満ちれば1度)。逆順で母が異なる場合は当行の母を掛け旧母で割って当行分とする。留の場合は前の値を承け、逆行なら減じる。伏の間は度が尽きるまで斗分を除き、行母を率とする。分の損益は前後で相殺しつつ調整する。
魏晋以降の諸暦の変遷
- 武帝の侍中・平原の劉智は、斗暦をもとに憲を改め《四分法》を推し、300年ごとに1日を減じるとし、150を度法、37を斗分とした。甲子を上元とし、泰始十年(甲午歳)まで97411歳、上元の天正甲子朔夜半冬至に日月五星が星紀に始まったとし、これを「元首の端」を得たものとした。虚飾を加えて名を《正暦》とした。
- 当陽侯の杜預は『春秋長暦』を著し、日は1日1度、月は1日13度19分の7余りを行くとし、日官はこの遅疾の会合を考えて晦朔を定め閏月を設けるべきだと説いた。閏月に中気がなく北斗が両辰の間を指すのはこのためで、これを積み重ねて四時八節が違わないようにして初めて歳が成ると論じた。『左伝』に「閏は時を正し、時は事を作す」とあるのを引き、陰陽の運行は動くにつれ差が生じ、差が積もれば暦とずれるため、孔子・左丘明は朔閏のたびに文を発して得失を正し暦数を明らかにしたのだと述べた。
- 劉歆(子駿)の『三正暦』は『春秋』の日蝕(甲乙の干支を持つもの34件)のうちわずか1件しか一致せず、諸家の中で最も疎である上、6000余歳ごとに1日を増す方式は不合理と批判された。
- 『春秋』を論じる者の多くは誤りが多く、家伝の術や黄帝以来の諸暦を用いて経伝の朔日を推しても合致しない。日蝕は朔に起こるのが天験であり、経伝もその朔の蝕を記しているにもかかわらず、劉歆・賈逵ら諸儒は月の2日・3日に蝕があったとし、聖人の明文に反した。その弊は一元を固守して天の運行と照らし合わせなかったことにある。
- (杜預の『暦論』の大旨)天の運行は絶えず、日月星辰はそれぞれの舎を運行する動くものであるから、必ず毫末の差が生じるのは自然の理である。『春秋』の日蝕が月を頻ねて起こる年もあれば長く起こらない年もあるのはこの理による。始めは毫毛の差でも、積もれば弦望晦朔がずれ、憲(暦)を改めて従わねばならない。『書』の「昊天に欽若し、日月星辰を暦象す」、『易』の「暦を治め時を明らかにす」は、天に従って合わせることを言うのであり、合わせることで天を検証するのではない。『春秋』二百余年の間、暦の変通は多く、数術が絶えても経伝の微旨を尋ねれば大量は知り得る。学者は経伝の月日・日蝕によって晦朔を考証し時を検証すべきであるのに、各自の学に依拠して『春秋』を推すのは、自分の足跡に合わせて他人の足を削るようなものだと批判した。
- 杜預の『暦論』の後、咸寧年間に算術に長けた李修・卜顕が論に基づき術を作り《乾度暦》と名づけ朝廷に上表した。その術は日の運行の四分数に月の運行をわずかに増したもので、300年ごとに改憲する考え方を用い、二元を70余歳ごとに強弱の差で推した。尚書・史官が《乾度暦》と《泰始暦》を古今の記注と参校したところ、《乾度暦》は《泰始暦》より優れ、官暦より45件優れていた。
- あわせて古今の十暦を考証し『春秋』を検証した結果、《三統暦》が最も疎であることが分かった。『春秋』全体では779日(経393・伝386)のうち37日が日食で、うち3日は干支(甲乙)が記されていない。
- 《黄帝暦》:466日、1蝕。
- 《顓頊暦》:509日、8蝕。
- 《夏暦》:536日、14蝕。
- 《真夏暦》:466日、1蝕。
- 《殷暦》:503日、13蝕。
- 《周暦》:506日、13蝕。
- 《真周暦》:485日、1蝕。
- 《魯暦》:529日、13蝕。
- 《三統暦》:484日、1蝕。
- 《乾象暦》:495日、7蝕。
- 《泰始暦》:510日、19蝕。
- 《乾度暦》:538日、19蝕。
- 今の《長暦》:746日、33蝕(うち経伝の誤りとみられるもの33日、干支のない蝕4日、うち3日は干支なし)。
- 漢末、宋仲子は七暦を集めて『春秋』を考証したが、夏・周二暦の術数は『芸文志』の記載と異なっていたため、これらを《真夏暦》《真周暦》と改称した。
- 穆帝の永和八年、著作郎の琅邪王朔之が《通暦》を作り、甲子を上元とし、積97000年、紀法4883、斗分1205とし、上元を開闢の始めとした。
- 後秦の姚興の時代、東晋孝武帝の太元九年(甲申歳)にあたり、天水の姜岌が《三紀甲子元暦》を作った。その大略:暦を治める道は必ず日月の運行を審らかにし、上は天時を、下は地の変化を考察すべきである。ひとたび根本を誤れば四時が変移する。孔子が『春秋』を作ったのも、日を月に、月を時に、時を年に継ぎ、年を事の首としたのは、天時を明らかにすることが人事の根本だからである。羲皇以来漢魏に至るまで各自暦を製したが、その疎密は交会薄蝕によってのみ検証できる。しかし『春秋』のみが日蝕の変を記し、隠公から哀公までの242年間に日蝕36件あるが、どの暦を用いたか不明である。班固は『春秋』が《魯暦》によったが《魯暦》の閏の置き方が正しくなかったためと考えたが、姜岌が検証すると『春秋』の置閏はその蔀(部立て)と符合しない。
- 『命暦序』は孔子が『春秋』を治めるにあたり殷の故暦を修めたとするが、姜岌が交会を考証すると《殷暦》とは一致せず、月朔の多くが日に及ばず、『経』は多く1日多く、『伝』は1日少ない。服虔は『左伝』の注に《三統暦》の太極上元を用いたが、これは『春秋』に施すべきものではないと批判した。杜預も周の衰亡後は学者が真を得られなかったと述べており、伝わる七暦もいずれも当時の王の術とは限らないとした。
- 姜岌が七暦で古今の交会を考証したところいずれも実証性に欠け、その原因は斗分の疎密にあるとした。《殷暦》の斗分は4分の1、《三統暦》は1539分の385、《乾象暦》は589分の145、《景初暦》は1843分の455で、いずれも疎密が異なる。《殷暦》は粗く現在に施せず、《乾象暦》は細かすぎて古に通じない。《景初暦》も粗密の中間にあるが、日の所在が実際と4度も違い、日食の際の月の位置で検証すると参宿の6度もずれる。
- そこで姜岌は新暦を作り、2451分の605を斗分とし、日は斗宿17度を天正の首とした。これにより上は『春秋』と、下は当代の実測と一致することを確認した。『春秋』の36蝕のうち、正朔に一致するもの25件、蝕が2日ずれるもの2件、晦にあたるもの2件、誤りとみられるもの5件、計33蝕を数え、残る蝕は経に日の干支記載がなく検証できないとした。図緯にはいずれも「300年ごとに斗暦を改憲する」とあるが、姜岌の新暦を『春秋』の時代からおよそ1000年に及ぶ現在まで施したところ、交会・弦望のずれは3蝕分程度の範囲に収まり、300年ごとの改憲などせずとも永く用いられると結論づけた。
姜岌『三紀甲子元暦』の暦法諸元
- 甲子上元以来、魯隠公元年己未歳まで82736、東晋孝武帝太元九年甲申歳まで83841(算上)。
- 元法:7353
- 紀法:2451
- 通数:179044
- 日法:6062
- 月周:32766
- 氣分:12860
- 元月:90945
- 紀月:30315
- 沒分:44761
- 沒法:643
- 斗分:605
- 周天:895220(一名紀日)
- 章月:235
- 章歳:19
- 章閏:7
- 歳中:12
- 會数:47(日月893歳で47会、分が尽きる)
- 氣中:12
- 甲子紀交差:9157
- 甲申紀交差:6337
- 甲辰紀交差:3517
- 周半:127
- 朔望合数:941
- 會歳:893
- 會月:11045
- 小分:2196
- 章数:129
- 小分:2183
- 周閏大分:76269
- 暦周:447610(半周天)
- 會分:38134
- 差分:11986
- 會率:1882
- 小分法:2209
- 入交限:10104
- 小周:254
- 甲子紀差率:49178
- 甲申紀差率:58231
- 甲辰紀差率:67284
- 通周:167063
- 周日日餘:3362
- 周虛:2701
結語
- 五星の約法は実際の出現を基準に定め、元本の理論値には縛られない。算術による推歩は元初にまで遡って究めるが、約法は現在の用に合わせて施すもので、それぞれの趣旨に応じて両様の法が作られている。
- 姜岌は月食の観測によって日の宿度の所在を検証し、暦術を立てる者の宗とされた。また『渾天論』を著し、日を黄道上で歩ませる法により、それまでの儒者の誤りを正し、天体運行の理を得たとされる。