清史演義朝鮮主、臣と称し降を乞う/盧督師、君に忠あり節に殉ず(第 九 回 朝鮮主稱臣乞降  盧督師忠君殉節)

朝鮮の非礼と対明陽動

  • 即位式で跪拝を拒んだのは朝鮮の使者だった。太宗は朝鮮国王李倧を詰責するが返書すら拒まれ、まず明を叩いて牽制してから朝鮮を討つ方針を立てる。アジゲに二万の兵を与えて明の畿内を荒らさせ、成果を挙げて帰還した。

朝鮮再征、南漢山城包囲

  • 太宗自ら大軍を率いて厳冬の中、朝鮮へ親征。ドルゴン・ドド・豪格らを先鋒に、義州・定州・安州を次々と突破し朝鮮の都に迫る。李倧は妻子を江華島へ逃し、自らは南漢山城へ籠る。

江華島陥落と人質

  • ドルゴンは小舟を急造して江華島を攻略し、王妃・王子・宗室ら二百余名を捕らえた。同時に紅衣大砲で南漢山城を砲撃し、李倧を追い詰める。

朝鮮王の降伏(三田渡の屈辱)

  • 江華島陥落の報を受けた李倧はついに全面降伏。清の正朔を奉じ、朝貢・出兵協力などの条件を受け入れ、漢江東岸の壇上で太宗に九回の叩頭の礼をとらされた。二人の王子(世子)を人質として差し出し、太宗は帰国した。

主戦論者三名の処刑

  • 講和破棄を唱えていた朝鮮の三臣(洪翼漢・尹集・呉達済)は瀋陽に送られ処刑された。

明への侵攻と孫承宗の自尽

  • 朝鮮を平定した太宗は明討伐に専念。孔有徳・耿仲明・尚可喜の三降将を先鋒に、ドルゴン・岳託を大将軍として長城を突破。薊遼総督呉阿衡は油断していたところを豪格に討たれ、高陽では致仕していた孫承宗が清兵の来襲に抗しきれず服毒自尽、一族も奮戦の末に多くが討死した。

盧象昇の奮戦と壮絶な死

  • 清兵はさらに山東へ南下し徳州・済南を攻略、徳王朱由枢を捕虜とする。兵部尚書楊嗣昌は密かに講和を図るが、山西総督盧象昇は主戦を唱え楊嗣昌・高起潜と対立。
  • 象昇は兵権を分割され、軍餉も絶たれた孤軍のまま巨鹿・嵩水橋で清兵に包囲される。援軍を送らなかった高起潜を恨みつつも「戦場で死ぬ」ことを選び、力戦の末に壮絶な討死を遂げた。
  • 高起潜は敵前逃亡の罪で処刑されたが、講和を主導した楊嗣昌はそのまま留任し、後に討賊の敗北で自殺する。

評語

朝鮮が満洲に敵しえなかったのは無理からぬことだが、無防備であったこと自体が朝鮮の招いた災いでもある。城下の盟に膝を屈し、屈辱的な条約を呑まされたのも自業自得と言うほかない。一方の明はといえば、熊廷弼・袁崇煥を殺し磔にし、孫承宗を免職して見殺しにし、ひとり善戦した盧象昇さえも権閹に妬まれて戦場に追い詰められて死なせた。君主としてこれほど昏愚な者がいるだろうか。世に「明を亡ぼしたのは熹宗」と言う者があるが、著者に言わせれば熹宗ではなお足りず、真に明を亡ぼしたのは崇禎帝その人である。