清史演義敵の手先となり満主辺境に入る/離間の讒を信じ明帝計に陥る(第 七 回 為敵作倀滿主入邊 因間信讒明帝中計)

孔有德・耿仲明の献策

  • 孔・耿の二将は、毛文龍を殺した袁崇煥への恨みから太宗に投降を誓う。太宗が攻略の策を問うと、二人は山海関を避けて龍井関から蒙古経由で長城内に入る道を献策した。
  • ドルゴンは二人の真意を試すため、いったん登州へ戻らせて内応者として使うことを提案し、太宗もこれを容れた。

龍井関突破と三屯営陥落

  • 同年十月、太宗は蒙古の台吉ブルガトゥを嚮導に大挙出兵。龍井関を難なく突破し、大安口・洪山口の二手に分かれて遵化方面へ進撃した。
  • 山海関から急行した総兵趙率教は三屯営で満洲軍に包囲され、援軍も入城を拒まれる中、力尽きて自刎した。守将朱国彦も夫婦で殉節し、遵化も陥落した。

遵化・北京進撃

  • 満洲軍は薊州・三河・順義・通州を次々と占領し、北京城下に迫った。援軍の満桂が奮戦するが、城壁からの誤射で自軍にも被害が出る一幕もあった。

満桂の奮戦と袁崇煥の来援

  • 崇禎帝の勤王の詔により袁崇煥が趙率教・満桂らを率いて北京救援に到着。太宗はこれに驚き、豪格らに夜襲を命じるが、崇煥の伏兵に阻まれ苦戦し、辛くも撤退する。

范文程の反間計

  • 太宗は范文程の献策により反間計を用いる。偽の講和書簡をわざと明兵に発見させ、また捕らえた明の宦官二人に「崇煥はすでに講和に応じた」との密談を聞かせて逃がした。
  • 宦官の報告を信じた崇禎帝は袁崇煥を逮捕・投獄。総兵祖大寿・何可綱は憤って山海関へ引き揚げてしまう。

満桂の戦死と太宗の退却

  • 主将を失った明軍は混乱し、満洲軍は北京近郊を荒らし回った後、蘆溝橋に迫る。崇禎帝は僧侶出身の申甫や満桂に防戦を命じるが、申甫は戦死。満桂も夜間の偽装明軍による混乱の中で討死した。
  • 満洲軍は優勢のまま、太宗は突如撤退を命じ、諸貝勒は困惑する。

評語

袁崇煥が毛文龍を斬ったことは後世多くの批判を招いたが、著者はこれを是とする。将は外にあって君命に従わずとも国益に適えば専断できるものであり、崇禎帝もそれを許していたはずである。ただ文龍配下の多くが満洲に走り先導役となったことは崇煥の落ち度と言えよう。勤王の詔に応じ急行した忠勇にもかかわらず、疑い深い崇禎帝は讒言を信じて崇煥を投獄し、満桂も戦死するに至った。明の滅亡はこの時点でほぼ定まったと言ってよい。