史記卷九十八 傅靳蒯成列傳第三十八 周緤

高祖の参乗を務めた忠臣

  • 蒯成侯周緤は沛の人。常に高祖の参乗を務め、舎人として沛での挙兵に従った。霸上に至り、漢中に入り三秦平定に従って池陽の食邑を得た。東で甬道を絶ち、平陰を渡り淮陰侯の軍と襄国で会し、戦況が有利不利を繰り返しても離反の心を持たなかったことから信武侯に封じられ食邑三千三百戸を賜った。高祖十二年(前195年)には蒯成侯に改封され、以前の食邑は除かれた。
  • 高祖が自ら陳豨を討とうとした際、蒯成侯は泣いて「秦が天下を攻めた時ですら自ら出陣したことはなかった。今上がたびたび自ら出陣するのは、他に使える人がいないということか」と諫めた。上はこれを「自分を愛するがゆえ」と受け止め、殿門を趨らずに入る特権と、人を殺しても死罪にならない特権を賜った。
  • 孝文五年(前175年)、周緤は天寿を全うして没し貞侯と諡された。子の昌が継いだが罪を得て国は除かれ、孝景中二年(前148年)に緤の子居が蒯成侯に封じられたが、元鼎三年(前114年)太常となった際に罪を得て国は除かれた。

史論

  • 太史公は言う。陽陵侯傅寛・信武侯靳歙はいずれも高爵を得、高祖に従って山東で挙兵し項籍を攻め、名将を誅殺し破った軍・降した城は十を数えながらも困窮辱めを受けたことがなかった。これもまた天の授けであろう。蒯成侯周緤は心堅く正しく、身に疑いを受けることなく、上が出陣しようとするたびに涙を流さぬことはなかった。これは心を傷める者の姿であり、篤厚な君子と言うべきである。