說唐第三十九回 李淵は帝業を興し挙兵し、楊林は反乱の王を除こうと策を練る (創帝業李淵舉兵  鋤反王楊林劃策)

李淵の挙兵

太原の唐公李淵は、煬帝が都を離れたまま天下が乱れる様を見て軍備を整え、天下取りの志を固めていた。息子の世民らの進言を受け、李淵は挙兵を決意し、唐王を名乗って建成を世子、李靖を護国軍師、袁天罡・李淳風を左右軍師とするなど諸将を封じた。李元霸を先鋒に立て、行く手を阻む者もなく河西・潼関を経て長安を陥した。李淵は帝位に即かず、幼い代王楊侑を皇帝に立て、煬帝を太上皇と尊び、実権を握った。

羅芸の死と燕山の落城

羅芸は息子・羅成が銅旗陣を破り金墉に降ったと知って激怒するが、折しも夏明王竇建徳配下の劉黒闥・蘇定方が燕山を攻めてきた。羅芸は蘇定方と一騎打ちの末に矢で左目を射抜かれ、致命傷を負って死去する。義子の羅春は夫人(羅成の母)を説得し、羅芸の遺体を火葬してその骨を携え、三軍を率いて金墉の羅成のもとへ落ち延びた。燕山は劉黒闥の手に落ちた。羅成は母との再会に号泣し、父の葬儀を営んだ。

楊林の陰謀

登州の靠山王楊林は、天下の大半が反乱勢力に付いたことを憂い、煬帝に献策する。各地の反王・外国勢力を揚州の演武場に集め、武芸を競わせて「反王頭」を決めさせるという名目で招集し、実際には - 演武後に西瓜火砲で多くを爆殺し、 - 揚州城の千斤閘で逃げる者を圧殺し、 - 残った者は継子・殷岳と共に龍鱗山に伏兵を置いて討ち取る、 という三段構えの謀略であった。宇文成都は西苑で煬帝を守護させた。

各地の反王・外国勢力が続々と揚州へ集まる中、楊林は天昌関の守りを沱羅寨の猛将・伍天錫に任せ、関前で三合戦って勝てなければ通さないという武挙の関門を設けた。伍雲召は義兄弟の伍天錫を説得し、危険を承知の上で反王たちを関内に導き入れた。

李元霸も遠征から戻り、父・唐王に無断で武挙見物に赴くが、道中で伍天錫が己の先鋒・梁師泰を打ち殺したことに怒り、伍天錫を素手で引き裂いて殺し、諸王を関内に通してから引き返した。