說唐第三十八回 秦瓊は銅旗陣を破り、羅成は宇文世雄を討ち取り功を立てる (打銅旗秦瓊破陣 挑世雄羅成立功)
銅旗陣の布陣
東嶺関の守将・楊義臣は五人の息子(楊龍・楊虎・楊豹・楊熊・楊彪)を擁し、秦叔宝の猛勇を恐れて計略を用いることにした。関外に銅旗陣を敷き、二十丈の旗竿の上に神箭手二十四名を乗せた大方斗を置き、猛将・東方伯を守旗大将とし、周囲に八面金鎖陣(絆馬索・鉄蒺藜・落とし穴)を配した。さらに幽州の羅芸に援軍を求めた。
羅成の内応
羅芸は自ら赴かず、息子・羅成を派遣し「反賊(秦叔宝)に私情を挟まず生け捕りにせよ」と命じた。羅成は表向き承諾するが、母の勧めで内心は表兄・秦叔宝を助けることを決意。まず西魏軍の陣を訪れ、密かに助力を約束したうえで東嶺関に入り、楊義臣のもとに身を寄せた。
単雄信の独断突入
羅成の大言に反発した単雄信は独断で銅旗陣に突入するが、進退窮まり、恩人・黒如龍(かつて単雄信に助けられた者)の手引きでかろうじて脱出する。黒如龍はこれを楊義臣に知られ斬られてしまう。単雄信は近くの茶店に立ち寄っていたところを王伯当に発見され、陣へ連れ戻された。
銅旗を打ち倒す
翌日、秦叔宝は単騎で陣を偵察するが、呼雷豹の吐く黒煙で敵馬をひるませて辛くも脱出。徐茂公の指示で諸将が四方から陣に突入し、羅成は味方のふりをしつつ機を見て東方伯・楊豹・楊彪を討ち取る。秦叔宝は楊龍・楊虎を討ち、三度の鎚打ちで銅旗を倒し二十四名の神箭手を巻き添えにした(「三鐧打銅旗」)。羅成の裏切りを知った楊義臣は絶望し自刎、楊熊も王伯当に射殺され、隋の二十万兵は降伏した。羅成はそのまま金墉軍にとどまることを叔宝に告げた。
涿州軍を撃退
まもなく涿州留守・孽世雄が十万の兵で金墉を攻め、老将裴仁基が戦死したとの報が届く。羅成は初陣の功として孽世雄を討つことを願い出て、単騎で敵陣に突入し孽世雄を槍で仕留めた。金墉軍はその隙に敵軍を殲滅し、羅成は猛虎大将軍に封じられた。