說唐第三十七回 秦叔宝は尚師徒と手加減して戦い、裴元慶は火雷陣で命を落とす (叔寶戲戰尚師徒 元慶喪身火雷陣)
秦叔宝、槍と馬を失う
尚師徒は二度も呼雷豹を盗まれたことを怒り、槍を交える。叔宝は敵わず北へ逃げ、大澗にかかる朽ちた石橋の脇にある木橋へ向かう途中、疲れ果てた馬が飛び越えようとして澗へ転落、鋭い岩で腹を裂かれ死んでしまう。叔宝は辛くも槍を岩の間に突き刺して体を支え、岸へ這い上がるが槍も真っ二つに折れてしまう。
徒歩戦の駆け引き
馬も槍も失った叔宝は双鐧で応戦。竄縦(跳躍)の術に長けた叔宝は、馬上の尚師徒を翻弄する。尚師徒は坐騎を傷つけまいと徒歩戦に切り替えるが、叔宝は隙を見て仲間を呼ぶふりをして地を転がって離脱し、繋いであった呼雷豹に飛び乗って槍とともに逃げ去る。尚師徒は呆然とし、関に戻って紅泥関総兵・新文礼に助けを求める書状を送る。
叔宝は馬と槍を取り戻して喜ぶが、この日の疲労と濡れ、空腹に酒食を重ねたことで発熱し陣中で病に倒れ、徐茂公は陣門を固く閉じて療養させた。
新文礼の登場と裴元慶の死
新文礼は身の丈一丈二尺、二百斤の鉄方槊を使う隋朝屈指の猛将。尚師徒の求めに応じ臨陽関へ赴き、陣前で挑発するが、徐茂公は応戦を禁じる。運糧に来ていた裴元慶がこれに怒り応戦、新文礼の槊を打ち折り、追撃して落馬させるが、糧草の受け渡しが済んでいなかったため深追いをやめる。新文礼は尚師徒のもとで数日養生する。
回復した新文礼は尚師徒と謀り、裴元慶を誘い出す計略を立てる。城南の慶墜山に地雷火薬を埋め、崖に籠を用意させた。徐茂公は不吉な予感から裴元慶の出陣を止めるが、元慶は聞き入れず出陣してしまう。
新文礼は元慶を慶墜山の窟へ誘い込み、自らは崖上に吊り上げられた籠に逃れたうえで火矢を放って地雷を爆発させる。若き勇将・裴元慶は窟の中で焼死した。享年十五。
秦叔宝の復帰と決着
新文礼は勢いに乗り陣を衝くが、病床の秦叔宝は裴元慶の死と敵の襲撃を聞き、無理を押して起き上がり、家人の秦安の制止を振り切って出陣する。大声を発した拍子に汗をかき体が軽くなり、乱戦の中で疲弊した新文礼を一鐧で打ち倒し、諸将がこれを斬り刻んだ。
尚師徒は新文礼を救援に向かう途中で包囲され、関がすでに徐茂公の軍に奪われたと知ると、秦叔宝の勧告にも従わず自ら剣で自刎して果てた。秦叔宝は関に入って民を安んじ、裴元慶の遺骸を慶墜山から収めて葬らせたのち、兵を休ませて東嶺関へと進軍した。