西太后演義対日講和で苦衷を示し、対露密約を結ぶ(第二十三回 命和日宣示苦衷 主聯俄遣訂密約)

李鴻章、講和のため渡日

  • 西太后は李鴻章への弾劾上奏を意に介さず、彼を全権として和議交渉に赴かせるよう光緒帝に命じた。李鴻章は各国公使に仲介を求め、ロシア公使喀希尼(カシーニ)の協力を得て馬関(下関)へ渡り、伊藤博文・陸奥宗光と交渉に入った。

下関談判と狙撃事件

  • 停戦交渉は難航し、日本側は天津・大沽・山海関の占領継続を主張。交渉の合間、李鴻章は帰路で刺客に狙撃され顴骨に負傷したが、国際世論の同情もあって日本側がようやく態度を軟化させ、停戦協定が結ばれた。

下関条約の締結

  • 傷の癒えた李鴻章は交渉を再開。日本は朝鮮の自主、奉天南部・台湾・澎湖の割譲、賠償金三百兆両などを要求し、幾度かの折衝の末、遼東の一部(寛甸を除く)と台湾・澎湖の割譲、賠償金二百兆両で妥結。李鴻章はやむなく調印し、天津に戻った。

光緒帝、和議を裁可

  • 張之洞・易順鼎らが割地・賠償に反対する上奏を行ったが、光緒帝は西太后に相談。西太后は戦の継続に否定的で、和議を進めるよう指示し、光緒帝はやむなく詔を発して和議締結の経緯を天下に説明した。

台湾の失陥

  • 台湾では邱逢甲らが唐景崧を総統に自立を試みたが、日本軍の上陸で台北が陥落し唐景崧は内地に逃れた。台南では劉永福が抗戦を続けたが、力尽きて内渡し、台湾全土が日本領となった。

三国干渉と露清密約

  • 講和後、ロシア・ドイツ・フランスが遼東還付を求める三国干渉を行い、日本は賠償金の増額と引き換えに遼東を清に返還した。
  • 対露交渉では李鴻章が翁同龢と守旧派の対立を背景に露国皇帝の戴冠式へ派遣され、ロシアの大蔵大臣ウィッテから、東三省の鉄道敷設権・膠州湾(後に旅順・大連)租借・満洲軍訓練権などと引き換えに日本への対抗を約す密約を持ちかけられ、これに応じてしまう。

露密約をめぐる紛糾

  • 露国公使喀希尼はこの密約の批准を清朝に迫り、光緒帝は憤慨して拒もうとしたが、西太后が強く迫って調印させた。フランスも同様の権益を得て、独国だけが要求を控えた。

変法運動の萌芽と文廷式の弾劾

  • この間、康有為が強学会を組織して変法を唱え始め、維新派と守旧派の対立が先鋭化。御史楊崇伊は文廷式を弾劾し、彼は失脚に追い込まれる。

評語

  • 日清戦争の敗北は避けがたく講和もやむを得なかったとしつつ、和議が実は西太后の意向によるものであったことを、宣示の上諭の文言(「慈闈頤養」等)から論証する。露国頼みの外交がさらなる譲歩を招いたことを「行険僥倖の謬想」と評し、光緒帝の変法への意欲と朝廷内の党派対立、西太后の介入とが絡み合い、清朝の前途がすでに危うくなっていることを嘆く。