兩晉演義第九十八回 南涼王は諫めに愎らい亡びを致し、西秦の后は謀に敗れ難に殉じる (南涼王愎諫致亡 西秦後敗謀殉難)
北涼と南涼の抗争
- 朱齢石は蜀平定後、降臣馬耽を口封じのため遠地へ移し自死させた。北涼王沮渠蒙遜は姑臧を奪い河西王を称し、東晋へ恭順の意を示す上表文を送った。
- 南涼王禿髮傉檀は北涼への侵攻を繰り返したが、群臣の諫言を無視して出兵を重ね、次第に劣勢に立たされていった。景保という臣は天象を根拠に出兵を諫めたが聞き入れられず、戦いに敗れて捕虜となった。
南涼の衰亡
- 傉檀は姑臧を放棄して楽都に移ったが、留守を任せた城は内応により北涼に奪われた。その後も西征を強行して民心を失い、隙をついた西秦の乞伏熾磐に本拠の楽都を奪われた。
- 味方も次々に離反する中、傉檀はわずかな従者と共に西秦へ投降し、驃騎大将軍に封じられたが、後に熾磐から毒を盛られ落命した。南涼は三代十九年で滅亡した。
西秦の内紛
- 西秦王乞伏乾歸は自立して秦と対抗したが、従子の乞伏公府に暗殺された。子の熾磐が反撃してこれを討ち、王位を継いで勢力を拡大した。
- 熾磐は南涼滅亡後、傉檀の娘を王后に立てたが、傉檀の子虎台らが復讐を企てたことが密告により露見し、粛清された。密告者は熾磐の側室で、傉檀の娘の同族でありながら裏切った人物であった。
評語
- 禿髮傉檀は北の沮渠蒙遜、東の乞伏熾磐に挟撃される危うい立場にあったが、和睦の進言を退けて出兵を重ねた末に自滅した。娘が父の仇討ちを図ったのは一介の女性としては気概あることだが、志半ばで露見し落命した。それに対し同族でありながら裏切った側室の所業は恥知らずと言うほかない。