兩晉演義第八十三回 再び難を発し王恭が誅戮を受け、人を惑わすを好み孫泰が誅に伏す (再發難王恭受戮 好惑人孫泰伏誅)

魏の国家体制整備

  • 魏主拓跋珪は中山攻略後に平城へ遷都し、宮室・宗廟・郊祀の制を整え、官制・律令・礼儀・天象観測などを臣下に分掌させて国家体制を確立した。皇帝を称して天興と改元し、遠祖を追尊、代郡周辺への移民策や八部帥による統治体制を敷いた。爾朱氏など地方豪族も魏に服属し勢力を伸ばした。

燕の内紛続く

  • 魏は燕からの離反者盧溥を討ち、燕主慕容盛は皇帝号を退けて庶人天王を称し、太后の喪や近親の謀反未遂に対処しつつ、大赦や人材登用を行った。七兵尚書丁信が驕慢を戒める諫言をしたが、慕容盛は結局苛烈な統治を改めなかった。

晋の方鎮反乱(王恭の再挙兵)

  • 会稽王司馬道子は勢力を強める方鎮を警戒し、譙王尚之兄弟を重用して対抗させた。豫州刺史庾楷は江州分割に反発し、青兗刺史王恭・荊州刺史殷仲堪・桓玄と結んで挙兵を図る。
  • 劉牢之は王恭に自重を説くが聞き入れられず、王恭は王愉・尚之討伐を名目に出兵。桓玄・楊佺期の軍が江州を席巻し建康を脅かすが、会稽世子司馬元顕が防衛を主導した。

劉牢之の裏切りと王恭の敗死

  • 元顕は劉牢之を調略し、牢之は王恭を裏切って先鋒顔延を斬り、王恭軍を撃破。王恭は逃亡中に捕らえられ処刑された。牢之は輔国将軍に任じられ王恭の旧地を統轄することとなった。

尋陽の盟と朝廷の妥協

  • 桓玄・楊佺期・殷仲堪は王恭の雪冤と劉牢之討伐を求めて挙兵するが建康軍の勢いに退き、朝廷は懐柔策として桓玄を江州刺史、楊佺期を雍州刺史とし、殷仲堪の荊州も安堵する妥協で事態を収めた。三者は尋陽で盟約を結ぶが、互いに猜疑を残したまま各鎮へ戻った。

孫泰の妖術と粛清

  • 銭塘の杜子恭の秘術を継いだ瑯琊の孫泰は、五斗米道を用いて民衆を惑わし、財産や女性を奪って私腹を肥やした。王恭挙兵の際には義兵と称して勢力を広げ、会稽世子元顕とも親交を持ったが、謀反の兆しが露見して道子に誘殺され、六人の子も誅殺された。甥の孫恩のみ海へ逃れ、残党を集めて復讐の機をうかがう。

評語

  • 回末の詩は、瓜刀の怪異のような妖術は根拠なく、渠魁を誅しても余党が東海で再び騒ぐさまを詠む。
  • 評語は、王恭の挙兵は当初は名分があったが、深追いして庾楷に利用され身を滅ぼしたこと、殷仲堪・桓玄・楊佺期も朝廷を軽んじて自滅の道を辿りつつあること、孫泰の妖言惑衆もまた自業自得の末路であることを論じている。