兩晉演義第十四回 同室の戈を操り斉王が命を終え、詐りの降伏の計にかかり李特が敗死する (操同室戈齊王畢命 中詐降計李特敗亡)
王豹誅殺の余波と李含の策謀
- 王豹の冤死に同僚は身の危険を感じ、掾属張翰は秋風を機に江南への望郷を口実に辞官(後世「莼鱸の思い」として知られる逸話)、庾袞も乱を予感し家族を連れて林慮山に隠棲した。
- 河間王顒の長史李含は、翊軍校尉在任中の確執から身の危険を感じて長安に逃げ帰り、顒に「密詔により齊王冏を討て」と偽り、実は長沙王乂を焚きつけて冏を討たせ、その隙に成都王穎を担いで自らが顒とともに実権を握る策略を進言する。顒はこれに乗り、齊王冏の専権と僭上ぶりを列挙して討伐を求める上表を行い、李含を都督として洛陽に迫らせた。
長沙王乂の齊王冏討伐
- 顒の上表に驚いた齊王冏は百官を集めて対応を協議し、王戎・司空東海王越は権を譲って身を引くよう勧めるが、門下中郎将葛旟が激怒して反対を叫び、王戎は身の危険を感じ醜態を装って退席した。
- 冏は長沙王乂の内応を恐れて先手を打とうとするが、乂は逆に惠帝を擁して宮中に籠り、双方が放火・矢戦を交えて三日三夜の激戦となった。冏軍は敗れて冏自身は捕らえられ、命乞いも空しく処刑され、一党二千余人が誅殺、子は爵位を奪われ幽閉された。
- 惠帝は改元して太安とし、長沙王乂を太尉・都督中外諸軍事とした。河間王顒は李含・張方を召還させたが、李含は自分の思惑(乂も除いて成都王穎を立て顒が実権を握る)が外れて不満を募らせ、なお乂を除く策を顒に説いた。ここで話は李特の蜀での動乱に転じる。
趙廞の反乱と李特兄弟の台頭
- 益州刺史趙廞は李特兄弟の武勇を頼りにしていたが、朝廷が流民の横暴を理由に廞を召還しようとすると、廞は抗命して成都内史耿滕を攻め殺し、自ら大都督大将軍益州牧を称して独立、李特兄弟を要地に配した。
- 廞は李庠の勢力拡大を恐れ、庠を大逆の罪で誅殺したが、李特・李流は納得せず離反、趙廞配下の内紛(許弇・杜淑・張粲の相討ち)にも乗じて挙兵し、廞軍を破って成都を陥落させた。廞は逃亡中に部下に殺され、首級は李特のもとに送られた。
- 晉廷は羅尚を益州刺史として派遣、李特は当初賄賂を贈って懐柔し宣威将軍に任じられるが、広漢太守辛冉との対立が深まる。辛冉は流民帰還の朝命を隠匿し、李特兄弟の首に懸賞をかけるが、李特はこれを逆手に取り流民を糾合、辛冉の夜襲軍を伏兵で撃破して二万余の兵を得た。
李特の成都攻略と羅尚の苦戦
- 李特は鎮北大将軍を自称し、広漢を奪って成都を包囲する。河間王顒の援軍衙博、晉の張微・張龜らを李特・李蕩父子らが各個撃破し、次子李蕩の武勇(張微を討ち取り、その子存を寛大に釈放する逸話)が特筆される。
- さらに梁州刺史許雄の援軍も撃退し、羅尚は成都の少城を明け渡され太城に孤立、和議を求めるまでに追い詰められた。李特は略奪を禁じ民心を得ようとしたが、李流の進言(豪族の子弟を人質に取るべき)を退けたため統制が緩み、流民が食料を求めて四散した。
李特の敗死
- 晉廷は宗岱・孫阜の水軍三万を援軍に送り、益州従事任睿は羅尚に「李特軍が油断している今こそ好機」と献策、偽って李特に投降し内情を探った上で、諸塢と示し合わせて内外呼応の奇襲を仕掛けた。
- 不意を突かれた李特軍は総崩れとなり、任睿自身が李特を斬り、駆けつけた李輔も討たれた。李流・李驤・李雄(李特の末子)らはわずかな残兵とともに赤祖へ逃れた。羅尚は李特・李輔の遺骸を焼いて骨を撒き、首級を洛陽に送った。
- 末尾に李特の奮戦むなしい最期を悼み、劉後主(劉禅)の故事を引いて興亡の無常を詠む詩が添えられる。
評語
- 長沙王乂は齊王冏討伐に実際に功を挙げたわけではなく他人の労を借りて旧封を回復したに過ぎないとしつつ、それに満足せず成都王穎に讒言めいた言葉を弄したことを「小人得志」と断じる。
- 李含の謀は乂よりも狡猾で、顒を利用して冏・乂両者を除こうとしたものであり、もしそれが成功していれば穎・顒すら次の標的にされたであろうと推測し、司馬一族が互いに疑い争わず誠意をもって協力していればこうした讒言者の付け入る隙はなかったはずだと論じる。
- 李特兄弟と流民の処遇についても、良吏が導けば有用な力になり得たものを、趙廞・羅尚らの貪欲が彼らを反乱に追いやったとし、李特が誅されても羅尚の失政と民の怨みが残る限り蜀に平穏は訪れないと結び、貪官が国禍を招く構図を指摘している。