南北史演義第九十四回 高麗を征し兵を労し衆を動かし、薩水で潰え将を折り師を喪う (征高麗勞兵動眾 潰薩水折將喪師)

江都再幸と秦夫人の彩花

  • 大業六年、洛陽の草木が枯れたことに飽きた煬帝は再び江都行きを望む。清修院の秦夫人が「三日で花を咲かせる」と請け合い、実は彩帛で作った偽花・偽葉で苑内を飾って見せる巧知が語られる。
  • 蕭后は同行せず、煬帝は少数の後宮を伴い江都へ下る。

江都での享楽と「清夜遊」

  • 江都では宮監王世充が宮殿と美女を整え歓待する。呉の宮女に自作の楽曲「清夜遊」を習わせ、歌舞に興じる。

琉球征伐と倭国・高麗への強硬姿勢

  • 陳稜が海路琉球を攻め、国王遏刺兜を討って捷報をもたらす。倭国からの国書「日出處天子…」に煬帝は不快感を示す。
  • 高麗が入朝の命に応じないことに激怒した煬帝は、ついに高麗親征を決意する。

高麗遠征の大動員

  • 大業七年、涿郡へ全軍集結を命じ、造船・軍需輸送のため江淮以南から膨大な人夫・兵士を徴発。過酷な労役で多数の死者が出る。
  • 合水令庾質が「陛下自ら親征すべきでない」と諫めるが容れられず、大業八年、左右二十四軍・総勢百十三万余(号して二百万)の大軍が編成される。行軍の隊列は九百六十里にも及んだ。

遼水渡河の激戦

  • 段文振は病中に上表し速戦を進言するが間もなく病死。遼水では浮橋の架設に難航し、麦鉄杖ら先鋒が奮戦するも孤立して戦死。橋の完成後に隋軍は遼東岸へ渡り高麗兵を破る。

遼東城包囲と諸将への叱責

  • 煬帝は「三道相知・専断禁止」の詔で諸将の自由な用兵を封じ、遼東城攻めは長期化。業を煮やした煬帝は諸将を詰責する。

来護児の平壌敗退と九軍のサツ水大敗

  • 来護児は独断で平壌城に迫るが、伏兵の計略にかかり大敗して撤退。
  • 宇文述ら九軍は鴨緑水を渡り高麗の乙支文德の偽降策に乗せられ、糧食欠乏のまま深入りしてサツ水で壊滅、九軍三十万余のうち生還者はわずか二千七百人という大敗を喫する。

戦後処理と再征の準備

  • 煬帝は宇文述らを収監するが寵臣ゆえに助命し、劉士龍のみを処刑。于仲文は憂憤のうちに病死。張衡も讒言により自尽させられる。
  • 大業九年、性懲りもなく再び高麗遠征を発動。遼東城を包囲するが、攻城戦が長引く中、国内で内乱の急報が入り撤兵を余儀なくされる。

評語

  • 天下の兵を一城に頓挫させた高麗遠征は、曹操の赤壁・苻堅の淝水と同様、兵力の多さに驕った失敗である。庾質・段文振の諫言を用いず、諸将を疲玩と責めて躁進を強い、来護児・宇文述らの喪師を招いた。再挙してもなお前轍を改めず、内訌がなくとも敗北は必然であった。