南北史演義第九十一回 蛾眉宣華夫人が地府に帰るよう促され、竜舟に駕し煬帝が江都に赴く (促蛾眉宣華歸地府 駕龍舟煬帝赴江都)
楊素の諫言と釣魚での争い
- 楊素は召されて顯仁宮に入り、酒色に耽る煬帝を諫めようとするが、煬帝は不快げに聞き流す。
- 宮人が誤って楊素の袍に酒をこぼしたことに腹を立て、楊素は勝手に宮人を叱責して笞打たせる。煬帝は不満を抱きながらも、帝位簒奪を助けた恩義ゆえに我慢する。
- 後日、池での釣りに同席した際、楊素は魚が釣れないことを煬帝にからかわれ、「大器晩成」と応じる。帝王然とした楊素の風采に煬帝はますます猜疑を強め、蕭后に殺意を漏らすが、功臣であり猛将でもあることから蕭后に制止される。
宣華夫人の死
- 煬帝が宣華夫人の室を訪れると、夫人は重病で臥せっていた。問い詰められた夫人は、夢に文帝が現れ「不貞」を責めて如意で頭を打たれたと語り、自らの死を予感していると涙ながらに告げる。
- 御医も匙を投げるほどの重態となり、まもなく息を引き取る(享年二十九)。臨終に煬帝を先帝と見誤り「事は太子(煬帝)による」と口にして絶命した。
- 煬帝は深く悲嘆し、しばらく朝政も執らなかった。蕭后の勧めもあり、宦官許廷輔らに命じて美女を全国から選び入れさせることにする。
楊素の遇鬼と病死
- 宣華の死後、宮中に参内した楊素は殿門で陰風に襲われ、文帝の亡霊とおぼしき姿に「逆子廣(煬帝)と共謀した」と責められ頭を打たれて昏倒、以後喀血して病臥する。
- 御医の見立ても絶望的で、煬帝はむしろ喜び、表向きだけ手厚く見舞う体裁を取る。
西苑(芳華苑)の造営
- 選び集められた美女は千数百人にのぼり、煬帝は虞世基に命じて洛陽西方に広大な西苑(芳華苑)を造らせる。海・五湖・蓬萊等の三神山・十六院などを配した豪奢な庭園が完成する。
- 五湖(翠光・金光・迎陽・潔水・廣明)と十六院の名も定められる。
十六院夫人の選定と江都行幸の詔
- 完成祝いの宴で、蕭后の勧めにより選女の中から十六人を四品夫人として十六院の主に任じ、さらに三百二十名の美人らを配属する。
- 煬帝は江都への南巡を望み、詔を発する。従弟の綸・集が呪詛の罪を着せられ辺境に流されるなど、皇族への警戒も怠らない。
- 仲秋、龍舟をはじめとする大船団を編成し、蕭后・後宮三千の美女を伴い洛口から出航、江都へ向かう。沿道の州県に献上を課し、贅を尽くした巡幸となった。
評語
- 宣華夫人の死と楊素の遇鬼は、因果応報を思わせる筆致であり、実話かは定かでないが、心にやましさがあれば魂魄も自ら怯えるという人情を描いたものである。煬帝の奢侈淫楽ぶりは古今稀な描写だが、江都への南巡は大業元年の出来事であり、俗説にあるような「一度出て二度と戻らなかった」話ではなく、実際には複数回の行幸があったことに注意すべきである。