南北史演義病父に侍り密かに謀り逆を行い、庶母に烝し強いて同心を結ぶ(0089 第八十九回 侍病父密謀行逆 烝庶母強結同心)
楊素の専横と梁毗の弾劾
- 太子広は数々の陰謀を楊素の助力で成し遂げ、楊素一族も高位高官に取り立てられ権勢を極めた。大理卿梁毗は楊素の専横を上書で弾劾したが、隋主は梁毗を投獄しつつも内心では二子(廃太子勇・蜀王秀)を思い出し、結局梁毗を赦免した。隋主は楊素への警戒も強め、吏部尚書柳述を政務に参与させたため、楊素は不安と憤懣を募らせた。
蘭陵公主と柳述
- 隋主第五女蘭陵公主は柳述に嫁いでいたが、晋王広は自分の妻の弟に公主を娶らせようとして果たせず、柳述への反感を強めていた。龍門の学者王通は朝政の乱れを見て太平十二策を上書したが用いられず、隠棲して教育にあたった(後の唐初の名臣房玄齢らを育てた)。
突厥と陳叔宝の最期
- 突厥の歩迦可汗(達頭)はしばしば侵入したが楊素に撃退され、部落は離反、啓民可汗が隋の後ろ盾で勢力を回復した。
- 独孤后の死後、隋主は陳叔宝の妹を寵愛し、陳氏の祭祀も許した。陳叔宝自身も度々召されて厚遇されたが、酒色にふけるばかりで、仁寿四年に病没した(五十二歳)。隋主はその死にざまを揶揄しつつ、実は自らも間もなく同じ年に世を去ることになる。
隋主堅の発病と楊広の野望
- 隋主は独孤后の死後、陳貴人に加えて蔡氏(容華夫人)も寵愛するようになったが、両美人の世話に体力を消耗し、仁寿四年、仁寿宮で病に倒れた。太子広は国事を代行しつつ見舞いに訪れ、内心では即位の準備を楊素に指示していた。太子と楊素の密書のやり取りの中、誤って返書が隋主の寝室に届き、隋主はその内容を見て激しく動揺した。
宣華夫人への凌辱と隋主の死
- 隋主が仮眠から覚めた深夜、宣華夫人が「太子に無礼を働かれた」と泣きながら訴えた。隋主は激怒し「独孤が我を誤らせた」と嘆き、廃太子勇を呼び戻すよう柳述・元岩に命じたが、二人が偽の詔を用意する間に東宮の兵に捕らえられ投獄された。これは太子広が楊素と謀って偽詔を作らせ、東宮の兵で宮中を制圧した結果であった。右庶子張衡が寝所に入り、隋主はまもなく息を引き取った。楊素は太子広の即位までは喪を秘すよう命じ、遺骸は一夜放置された。
楊広の即位と宣華夫人の凌辱
- 宣華夫人は東宮から届いた小箱を鴆毒と恐れたが、中身は同心結(求婚の印)であった。周囲に促されて受け取った夜、太子広が寝所を訪れ、拒む宣華夫人を強引に犯した。翌朝、楊広は即位し、楊素が偽の遺詔を読み上げさせて廃太子勇・蜀王秀の非を並べ、自らの仁孝を強調する内容とした。群臣は真偽を確かめる術もなく万歳を唱えた。
評語
- 隋主堅は詐術で国を得て斉・陳を平らげ、一時は英主と称されたが、その性質は猜疑深く学がなかった。北周の宗族を滅ぼした報いか、最期は自らの妻子によって家庭を破壊され、非業の死を遂げた。宣華夫人が凌辱を受け入れたことは咎めを免れないが、その因を作ったのは楊広の非道である。本回はその経緯を克明に描き、読む者を慄然とさせると評される。