南北史演義第七十五回 斛律光が讒に遭い害を受け、宇文護が悪を稔らせ伏誅する (斛律光遭讒受害 宇文護稔惡伏誅)
胡太后の淫乱と発覚
和士開を失った胡太后は寺院通いを口実に僧・曇獻と密通し、宮中にまで招き入れて淫楽にふけった。さらに女装させた美少年僧二人も寵愛したが、後主・緯がこれを見抜き、曇獻ともども処刑した。緯は太后を北宮に幽閉させた。
陸令萱・祖珽の権勢
陸令萱は自らを太后になぞらえようと画策し、祖珽と結んで実権を握った。祖珽は左僕射に昇進した。
斛律光への讒言
斛律光は名将として重んじられ、一族も高位にあったが、祖珽の専横を公然と非難し、開府・穆提婆の縁談や田地の要求も拒んだため恨みを買った。父・斛律金の遺訓を守り清廉な生活を貫いていたが、周の韋孝寬が構えた童謡による離間の計に祖珽が便乗し、「斛律光謀反」を示唆する謡や密告を仕立てて後主に吹き込んだ。
斛律光の誅殺
後主は疑心を強め、祖珽の策で斛律光を宮中に呼び出し、劉桃枝らに絞殺させた。光の子・世雄・恒伽も自尽を命じられ、弟・斛律羨とその五子も誅殺された。財産没収の際、郎官・邢祖信は光の清廉ぶりを惜しみ、祖珽を難詰した。周の韋孝寬はこの成功を喜び、周主も「斛律光さえいなくなれば斉など恐るるに足らず」と歓喜した。
後宮の権力争い
皇后・斛律氏は廃され、胡太后は姪を後主に嫁がせて昭儀とし、後に皇后に立てた。寵姫・穆舎利(穆黄花)はこれに不満を抱くが、陸令萱の策略により、美しく着飾った穆氏を「聖女」と偽って後主に引き合わせ、舜が二人の妃を娶った故事を口実に穆氏も皇后に立てさせた。さらに陸令萱は胡太后を讒言で失脚させ、髪を切らせて宮中から追放し、穆氏が単独の皇后となった。穆提婆・高阿那肱・韓長鸞が「三貴」と称され、祖珽も軍事の実権を握り、北斉の朝政は佞臣に牛耳られた。
周の宇文護の専横と誅殺
周では宇文護が突厥との婚姻交渉の末、可汗の娘を周主・宇文邕の后として迎えた。護の母・閻氏の死後、護は喪に服す間もなく復職し、周主から破格の礼遇を受けたが、権勢を恃んで驕り、一族・部下の不正も放置していた。天象の異変を機に稍伯大夫・庾季才が引退を勧めたが、護は聞き入れなかった。衛公・宇文直や宇文神舉、王軌、宇文孝伯らは周主と謀り、太后への奏上を装って護を宮中に誘い込み、周主自ら玉珽で打ちすえ、宇文直が剣で護を斬殺した。護の子や一族、党与も次々に誅殺され、年号は建德と改められた。
評語
本回は斛律光と宇文護、二人の合伝というべき内容である。斛律光は北斉の柱石であり、彼が死なねば斉は滅びなかったであろうに、佞臣の讒言によって非業の死を遂げた。功高くして主に憚られる者が身を全うしがたいのは、父・斛律金の生前の懸念どおりであった。満つれば欠け、盛んなれば覆るとは、まさにこの一族の運命を言うものである。一方、宇文護は二代の主君を弑した大罪人でありながら、周主邕が即位十三年目にしてようやく誅することができた。庾季才の勧めに従っていれば死を免れたであろうが、極悪の護が生き延びることこそ天道に反する。斛律光の死をもって斉は衰え、宇文護の死をもって周は盛んになった。賢と奸とが国の盛衰を左右することは、かくのごとくである。