南北史演義第七十四回 奸人に暱れ淫后が賢王を殺し、刁媼を信じ昏君が胞弟を戮する (暱奸人淫後殺賢王 信刁媼昏君戮胞弟)

始興王伯茂の死と安成王頊の即位

陳の始興王・伯茂は幽閉先へ移送される途中で盗賊に襲われ落命したが、実際には安成王頊の差し金であった。頊は謙譲を装いつつ翌年正月に即位し、太建と改元。世子叔宝を太子に立て、諸子を封じた。まもなく廃帝・伯宗(臨海王)も十九歳で急死し、その死因は暗黙のうちに察せられるものであった。

高湛の暴虐と河間王・安徳王への迫害

斉の太上皇・高湛は、政治への不満を漏らしていた河間王・高孝琬を、和士開らの讒言と童謡の解釈を口実に呼び出して鞭打たせ、脚を折る重傷を負わせて死に至らしめた。孝琬の弟・安徳王延宗が兄の死を嘆いて藁人形を作ったことも高湛の耳に入り、二百回の鞭打ちを受けたが一命を取り留めた。

祖珽の失脚

秘書監・祖珽は和士開らの不正を密告しようとしたが逆に露見し、高湛の怒りを買って鞭打ちの上、光州の地牢に幽閉され、薫煙で失明した。

高湛の死と和士開の権勢

高湛は病に倒れ、和士開に後事を託して崩じた。在位五年・太上皇として四年、三十二歳であった。士開は喪を秘したまま数日間権勢をふるったが、馮子琮の進言で発喪した。太上皇后・胡氏は皇太后となり、士開との密通をますます公然と続けた。

趙郡王叡の粛清

士開の追放を図った太尉・趙郡王高叡ら重臣は胡太后の怒りを買い、士開の巧言によって逆に外任を命じられる。叡は抗議のため参内するが、永巷で拘束され、絞殺された。

陸令萱母子・穆舎利の台頭

宮婢出身の陸令萱は幼い斉後主・緯の乳母として重用され、権勢を振るった。子の提婆も高位につき、後主の寵姫・穆黄花(穆舎利)と結んで宮中に影響力を広げた。祖珽も令萱・士開に取り入って復権した。

隴東王胡長仁の死と瑯琊王儼の粛清計画

胡太后の兄・隴東王胡長仁は士開の讒言で左遷され、刺客を放とうとしたが露見し、士開の画策で処刑された。後主の弟・瑯琊王高儼は和士開・穆提婆の専横に不満を持ち、二人に警戒された。

和士開誅殺と瑯琊王儼の悲劇

瑯琊王儼は馮子琮と謀って和士開を弾劾させ、これを好機に軍を発して士開を誅殺した。しかし儼の挙兵はそれ以上進まず、斛律光の仲介で後主との衝突は回避され、儼は一旦許された。だが祖珽・陸令萱は「周公の管蔡誅伐」の故事を引いて後主に儼の排除を説き、後主はついに儼を呼び出させて絞殺させた。享年十四。

評語

趙郡王叡と瑯琊王儼はともに和士開ひとりのために命を落とした。儼は士開を討って一時の恨みを晴らせたが、叡はただ強く諫めただけで淫乱な太后の手にかかって死んだ。二人とも激情に駆られて事を急ぎすぎ、大局を見誤った。兵を用いて主君に迫ったこと自体も適切とは言えず、結局は自らの身を滅ぼしただけであった。