南北史演義第六十二回 公主を取り侯景が君を脅かし、帝祚を簒い高洋が国を窃む (取公主侯景脅君 篡帝祚高洋竊國)

侯景の江南平定

  • 湘東王繹は梁武帝の喪を発するが、自らはなお太清の年号を用い、武帝の木像を祀って万事その前に伺いを立てる。簡文帝は改元し大寶とする。
  • 侯景配下の侯子鑒が呉興を攻め、太守張嵊・前御史中丞沈濬が捕らえられる。侯景は降伏を勧めるが二人は節義を貫き殺される。
  • 宋子仙が銭塘・会稽を攻略。会稽を守る東揚州刺史・南郡王大連は放埒な統治で司馬留異に城を明け渡され、逃走中に捕らえられて建康へ送られる。以後三呉(呉郡・呉興・会稽)は侯景の勢力下に入る。
  • 広陵で挙兵した祖皓は董紹先を討つも、侯景配下の郭元建・侯子鑒の大軍に敗れ、車裂きの刑に処される。城内の住民は生き埋めにされる。

溧陽公主と梁主の傀儡化

  • 凱旋した侯景は簡文帝に溧陽公主(十四歳)を妻として求め、その場で押し切って娶る。以後、宴・行幸のたびに梁主と対等に振る舞い、梁主に舞を強いるなど臣下の礼を失した振る舞いを重ねる。
  • この年、江南は旱害と蝗害に見舞われ飢餓が蔓延するが、侯景は救済せず、逆に石頭城に処刑用の碓を設けて民を苦しめ、諸将には「城を落としたら容赦するな」と命じるなど残虐を極める。

東魏の情勢と潁川の陥落

  • 東魏の大将軍高澄は、蕭淵明を利用して梁と侯景を離間させる策を進める一方、蕭正表ら梁の諸州が相次いで東魏に降る。
  • 東魏軍は西魏領の潁川を攻め、王思政は籠城戦で奮戦するが水攻めにより落城寸前となり、最終的に投降する。高澄は思政を厚遇し「潁川より思政を得たことが喜び」と語る。

高澄の淫行と暗殺

  • 高澄は父・高歓の没後、柔然公主に手を出し、崔季舒に美女を集めさせるなど淫楽にふける。弟・太原公洋の妻にも横恋慕し物品を強奪するが、洋は表向き穏和に対応し警戒を解かせる。
  • 高澄は魏の高陽王斌の庶妹・玉儀を強引に側妾とし、崔暹の諫めを封じるため彼をも取り込む。玉儀の姉・静儀とも通じ、二人を「皇后候補」とまで公言するなど専横を極める。
  • 東魏主善見に皇太子冊立を迫って自らの威権を誇示しようとするが、逆に本意に反し正式に太子が立ってしまい、篡奪の機を焦る。
  • ある夜、高澄は膳奴・蘭京(梁の蘭欽の子で人質として使役されていた)に恨まれ、宴席で刺客に襲われる。陳元康は身をもって防いだが刺され落命、高澄自身も乱刀を受けて絶命する(二十九歳)。

高洋の台頭と禅譲

  • 弟の太原公洋が乱を鎮圧し、事後処理を冷静にこなして評価を高める。表向きは高澄の死を隠し、しばらくして正式に発喪する。
  • 東魏主善見は高澄の死を「天意」と喜ぶが、高洋が甲士を率いて謁見する様子に恐れをなす。
  • 高洋は晋陽で威信を固め、方士や側近(徐之才・宋景業・高徳政ら)の勧めと童謡・讖文の解釈を利用して禅譲の機運を作る。生母婁太妃はいったん諫めるが、最終的に洋の即位を容認する。
  • 楊愔らの周到な根回しにより東魏主善見は退位を迫られ、宮を追われて北城に移される。高洋は南郊で即位し、国号を斉(北斉)と改め、天保と改元する。

評語

侯景は梁武帝の意に染まぬまま溧陽公主を得て皇族を辱め、簡文帝はそれを止めるどころか「丞相を慕う」とまで言うに至った。忍んで生き延びるより賊を討って死ぬべきであった。東魏主善見も高澄の淫侈と簒奪の企てに翻弄され、天意と評されるほど呆気なく命を落とす。高洋は韜晦の評判に反して兄以上に果断で、主君を追い出し即位するに至った。天が高澄を助けず高洋を助けたかのような成り行きに、著者は困惑を隠さない。