南北史演義陳霸先が兵を挙げ逆を討ち、王僧弁が賊を退け功を奏する(第六十三回 陳霸先舉兵討逆 王僧辯卻賊奏功)

高洋の新政と東魏残党の処遇

  • 高洋は祖先・父兄を追諡し、皇族・功臣に王爵を授ける。旧主・東魏主善見は中山王に降封され、監視付きながら善見の元后とともに存命を許される。
  • 皇后には趙郡李氏を立て、太子に殷を立てる。楊愔らの補佐のもと、当初の政治は清明で法治が行き届いたと評される。
  • 西魏の宇文泰は高洋の即位に乗じて出兵するが、高洋自らの出陣と天候不順により撤退する。以後、北斉は南朝領の淮南方面へも勢力を広げる。

鄱陽王范の末路と陳霸先の挙兵

  • 梁主蕭綱は侯景に完全に抑圧され、藩鎮への指示もままならない。鄱陽王范は江州を我が物にしようとして尋陽王大心と対立し、糧道を断たれて背に腫物を病み没する。
  • 世子の嗣も侯景配下の任約に敗れ、大心も降伏。豫章も陥落する中、嶺南で西江督護・陳霸先が挙兵する。元景仲を討ち、蕭勃を擁立して広州を固める。始興太守として蘭裕の乱を鎮定し、湘東王繹の節度下に入る(交州刺史)。
  • 蔡路養の乱を杜僧明とともに鎮圧(この戦いで後の名将・蕭摩訶が初登場し、当初は敵方について奮戦する)。李遷仕の反乱も、馮宝の妻・冼氏の知略(偽装帰順による奇襲)で鎮定される。冼氏は霸先の将来性を見抜き支援を惜しまなかったと評される。

邵陵王綸の末路と各地の攻防

  • 邵陵王蕭綸は郢州で自立を図るが、湘東王繹の命で王僧辯・鮑泉に攻められ敗走。北斉に降り梁王に封じられるも、侯景配下の襲撃で潰走し、最終的に西魏の楊忠に討たれる。岳陽王蕭詧が遺骸を引き取り葬る。
  • 湘東王繹配下の徐文盛が侯景配下の任約を破るが、侯景は自ら「宇宙大将軍」を称して権勢を誇示する。梁主綱の名で百官を任じても実権はすべて侯景にある。
  • 南康王蕭会理らが侯景の腹心・王偉暗殺を謀るが密告され、会理・柳敬礼・蕭勧・蕭勔らが処刑される。密告者の蕭賁・蕭邕は侯姓を賜り王に封じられ、非難される。武林侯蕭諮も暗殺され、梁主は自身の身の危険を悟る。

侯景の劣勢と江夏陥落

  • 宣城が陥落する一方、三呉では余孝頃・張彪らの義兵が相次ぎ蜂起。侯景は徐文盛との水戦で苦戦し撤退、代わりに宋子仙・任約に郢州を急襲させる。
  • 郢州では刺史蕭方諸と行政を代行する鮑泉が遊興にふけり無防備で、宋子仙の奇襲を受けてあっけなく捕らえられる。侯景は江夏を制圧し徐文盛は江陵へ敗走する。

巴陵の攻防と侯景軍の壊滅

  • 湘東王繹は王僧辯に巴陵での持久戦を命じ、侯景の攻撃を寡兵ながら耐え抜く。宜州刺史王琳は投降した兄・王珣の説得にも屈せず抗戦を続ける。
  • 繹の命により胡僧祐・陸法和が任約を伏兵で捕らえる。糧道を断たれ疫病にも苦しんだ侯景は巴陵から撤退し、郢州も僧辯軍に攻略され、宋子仙・丁和は敗走する。

評語

陳霸先は嶺南から起って各地の敵を次々に討ち破り、その速さは尋常でない。馮夫人冼氏は一介の婦人でありながら英雄を見抜く眼識と智略を持ち、夫を助けて遷仕を討ったその働きは男子に劣らぬものとして特筆される。王僧辯もまた侯景に対し従容として構え、智勇は霸先に劣らない。両者が後年互いに疑心を抱き争うことになるとはいえ、この回では侯景平定の立役者として並び称するにふさわしい。