南北史演義第四十三回 充華が子を産み統を嗣ぎ基を承け、母后が臨朝し奢欲を窮める (充華產子嗣統承基 母后臨朝窮奢極欲)

沈約の最期

  • 沈約は夢に斉の和帝が現れ舌を斬られる幻を見て以来おびえ、巫に頼り、禅譲の責任は武帝一人にあると天に訴える赤章を書いた。武帝がこれを知り叱責すると、沈約は恐懼のあまり病没した(享年七十三)。武帝は「隠」の諡を贈った。沈約は『晋書』『宋書』『斉紀』などの著作と、四声を論じた韻譜で知られたが、武帝はさほど評価しなかった。

同時代の文人たち

  • 江淹は夢で神から五色の筆を授かり才を発揮したが、晩年に筆を返す夢を見てから才が衰えたという「江郎才尽」の逸話が語られる。
  • 任昉(字彦昉)も文才に優れ、地方官として善政を敷き、死後も民に慕われた。
  • 謝朏も文名高く、隠棲を貫きながらも礼を尽くして朝廷に応じ、のち病没した。

胡充華の入宮と皇子誕生

  • 宣武帝の高皇后は嫉妬深く後宮を独占していたが、胡国珍の娘・胡充華が入宮し寵愛を受け懐妊。当時は「太子を産めば母は死を賜る」という魏の旧制があったが、胡充華は「たとえ死んでも皇子を産みたい」と願い、男子・詡(のちの孝明帝)を出産した。
  • 宣武帝は皇后の嫉妬を恐れ皇子を別宮で養育させた。三年後、詡は太子に立てられたが、旧制を破り胡充華の自死は免じられ、貴嬪に進んだ。高后・高肇はこれに強く反発し、胡貴嬪の暗殺を企てたが、於忠らの計らいで警護され難を逃れた。

高肇の専横と皇帝の死

  • 清河王元懌は高肇に王莽の故事を引いて諫めたが聞き入れられず。高肇はさらに専横を強め、益州(蜀)攻略のため大軍を発した最中、宣武帝が急逝した。
  • 於忠・崔光らが太子詡を即位(孝明帝)させ、高皇后を皇太后、胡貴嬪を皇太妃とした。

高肇の誅殺と高太后の失脚

  • 高陽王元雍・任城王元澄が政務を任され、王顕は誅殺された。西還した高肇は罠にかけられ、於忠らの手で絞殺され、「畏罪自尽」と発表された。高太后は尼として瑤光寺に幽閉された。

於忠の専横と胡太后の垂簾聴政

  • 於忠は権力を握り反対者を粛清したが、やがて胡太后(胡充華)により外任に出され失脚。胡太后は聡明で読書・弓馬に長け、垂簾聴政ののち「詔」を称して事実上の帝として君臨するようになった。

胡太后の親政と仏教への傾倒

  • 胡太后は自ら宗廟祭祀を代行し、訴訟を裁き、科挙の答案を親覧するなど積極的に政務を執った一方、仏教に深く傾倒し、永寧寺・石窟寺など壮麗な寺院を建立して莫大な出費を重ねた。李崇の諫言も無視された。

高太后の暗殺と胡太后の淫乱

  • 天変を恐れた胡太后は、密かに瑤光寺の高太后(もと高皇后)を毒殺し病死と偽った。以後胡太后はますます放埒になり、ついに皇叔の一人と密通する事態に至った。

評語

  • 評者は、魏の「子貴母死」の旧制は夷狄の悪習にすぎず、胡氏が死を免れたことを制度の欠陥のみに帰すのは誤りとする。高皇后も生きていれば同様に専横したはずであり、天が胡氏の手を借りて高氏を滅ぼしたに過ぎない。しかし胡氏は前轍を省みずさらに驕淫を重ね、いずれ高氏以上の破滅を招くと予言する。婦人の驕淫は必ず滅亡を招くとし、治世の根本は閨門の慎みにあると説く。