南北史演義第三十八回 張欣泰が謀に敗れ重闢に罹り、王珍国が禍を懼れ昏君を弑する (張欣泰敗謀罹重闢 王珍國懼禍弒昏君)
郢城・加湖の攻防
- 蕭衍軍が郢城に迫る中、寶卷は陳伯之を江州から転じ、さらに吳子陽・陳虎牙らに十三軍を率いさせ郢州救援に向かわせる。
- 蕭穎冑の使者席闡文が「魏に助勢を求めるべき」と献策するが、衍は「漢口を押さえれば四方から糧道を確保できる。兵を分散すれば各個撃破されるだけ」と退け、着実に郢城を締め上げる方針を貫く。
- 春の増水を利して王茂らが加湖の吳子陽陣営を夜襲し大勝、子陽は敗走。魯山の守将房僧寄は病死し、後任の孫楽祖は兵糧尽きて降伏。郢城の薛元嗣・鄧茂も魯山陥落を見て降伏を決意(張沖の旧臣房長瑜は殉節を勧めたが容れられず)。衍は韋睿を江夏太守として民心を慰撫させ、休む間もなく建康へ進軍を続けた。
寶卷の乱行と迷信
- 建康では寶卷が芳楽苑を造営し続け、民家の樹石を奪って移植し、裸体男女を描いた密室を設けるなど奢侈と淫楽に耽る。苑内に市場を開かせ潘妃を「市令」として裁定させ、寶卷自身の過失も潘妃に裁かれ杖打ちを甘受する有様。
- 潘妃が生んだ娘が百日で夭折すると、寶卷は喪に服す真似をして周囲を欺く。
- 蔣侯神(蔣子文)を「霊帝」として宮中に祀り、佞臣朱光尚の作り話に踊らされて明帝の霊を怒らせたと信じ込み、藁人形を斬って晒す茶番を演じるなど迷信に溺れる。
蕭昭冑・張欣泰の挙兵失敗
- かつて崔慧景に身を寄せた蕭昭冑(竟陵王子良の子)を、桑偃・蕭寅らが擁立しようと計画するが機密が漏れ、昭冑兄弟・桑偃らは捕らえられ誅殺された。
- 新亭の守将胡鬆はこれに動揺していたところへ、雍州刺史張欣泰・弟欣時、王靈秀らが建安王寶夤擁立を持ちかけ協力を求める。実行時、送別の宴で寶卷側近の馮元嗣・楊明泰を斬りつけ梅蟲兒も負傷させたが、法珍・李居士らは逃げ延びて宮中に籠城。寶夤は擁立の動きに巻き込まれるも支持が広がらず、隠れた末に自首。寶卷は事情を問い質した上で寶夤を許し、旧位に復した。首謀者の欣泰・胡鬆らは処刑された。
江州平定
- 寶卷は寶夤を荊州刺史、王珍国を雍州刺史、李居士を西討諸軍総督とするなど布陣を整える。
- 陳伯之は江州で孤立し、蕭衍は伯之の旧部下蘇隆之を通じて降伏を促す。伯之は逡巡するが、衍が軍を進めて圧力をかけると、新蔡太守席謙(先代への忠義を説いた)を斬って降伏。衍は寶融の名で伯之を江州刺史に任じ、東進を続ける。
江陵救援と建康進軍
- 巴西太守魯休烈・巴東太守蕭璝が江陵を襲い、劉孝慶が敗走との急報が届くが、衍は「引き返しては間に合わない、雍州の弟たちに任せよ」と応じ、自らは進軍を止めない。
- 建康に迫る西軍を寶卷は「叛徒などすぐ平らげる」と侮り備えを怠るが、李居士は曹景宗に大敗し新亭へ退却。西軍は次々と拠点を落とし、朱雀航での大会戦では宦官王寶孫が白虎幡を掲げて督戦するも、西軍の火攻めと猛攻の前に東軍は総崩れとなり、驍将席豪も戦死、多数が淮水で溺死した。
建康陥落
- 西軍は宣陽門に迫り、東府城・青冀二州・石頭城が次々と降伏。李居士も新亭で降を乞う。寶卷は宮城に籠り、外は長囲で包囲された。
- 蕭穎冑の病死が伏せられる中、江陵を狙っていた巴東西軍も建康危急の報に浮足立ち退散、蕭璝・魯休烈は寶融に降伏。穎冑の死後、実権はいよいよ蕭衍に集中する。
寶卷の最期
- 城内の軍事は王珍国・張稷に委ねられる。寶卷は華光殿で偽装の敗北芝居や真夜中の騎乗遊興を続け、外の喧噪にも動じぬ振りをするが、実際は蔣侯神への祈祷に頼るのみ。犒軍の求めも「賊は私だけを狙うわけではない」と拒み、木材を城防でなく殿舎の飾り物造りに回すなど末期まで放埒を貫いた。
- 梅蟲兒・法珍が「大臣を誅して軍の士気を上げるべき」と進言したことが漏れ伝わり、危機感を強めた王珍国・張稷は密かに蕭衍に鏡を献じて内応を誓う(衍も断金を返し呼応)。両者は参軍馮翌・張齊に寶卷弑逆を命じ、後閤舎人錢強・御刀豊勇之を内応者とした。
- 歳末の夜、寶卷が潘妃らと含徳殿で宴を催していたところへ内応者が兵を導き入れ、酔って寝所にいた寶卷を宦官黄泰平が刺し、張齊がとどめを刺して斬殺した。寶卷は19歳、在位3年であった。
- 王珍国・張稷は百官に降伏の連署をさせ、寶卷の首級を石頭城の蕭衍へ送る。衍は宮中の府庫・図籍を接収させつつ略奪を厳禁し、秩序だった接収を行った。茹法珍・梅蟲兒・王寶孫・王咺之ら41人と潘貴妃は捕らえられ、衍の処分を待つ身となる。宣德太后の名で寶卷は「東昏侯」に、褚皇后と太子誦は庶人に落とされた。(詩:淫乱の果てに命を落とした寶卷を悼みつつ、無関係な妻子まで庶人に落とされたことを憐れむ)
評語
- 寶卷の治世3年で反乱が相次ぎ、荊・雍の挙兵で上流を失った時点で、陳顕達や崔慧景の一地方の反乱とは比較にならない危機であった。それでもなお閲武堂を壊し芳楽苑を築くほどの奢侈を続けたのだから、滅亡は必然であった。
- 蕭昭冑や張欣泰の挙兵は、いずれも実力の裏付けがないまま僥幸を頼んだために自滅した。荊・雍の挙兵に呼応して機を待てば、あるいは王侯の賞にあずかれたはずである。
- 結局、西軍が都に迫り王珍国らが内応したことで、戦わずして昏君は討たれた。蕭衍は弑逆の汚名を負わずに討乱の実を得たのであり、その才略もさることながら、勢いと時機に乗じた巧みさが際立つ。ただし挙兵の当初から既に天子を気取っており、その胸中に寶融の存在はなかった。かつて骨肉を殺した蕭鸞が結局子孫を保てず疎族に簒奪されたことを思えば、猜忌の深さは何の益ももたらさない。