明史演義第八十三回 大いに醋を吃し両魏風を争う/真に奇冤にして数妃命を畢う (大吃醋兩魏爭風 真奇冤數妃畢命)
客氏と魏朝の関係
- 童謡の「委鬼」は魏、「茄花」を分解すると「客」の字になるという解説から始まる。
- 熹宗の乳母客氏は定興県の民侯二の妻だったが、夫の死後宮中に留まり、司礼監属下の宦官魏朝と関係を持つようになった(魏朝は密術で陽根を回復させていたという逸話)。二人は熹宗の許しを得て「対食」(宦官と宮女の擬似夫婦関係)の間柄となった。
魏進忠(魏忠賢)の台頭と客氏争奪
- 魏朝の紹介で魏進忠(後の魏忠賢、賭博で自ら宮刑を受けた人物)が入宮し、王選侍の膳を担当、後に熹宗の寵愛を得て司礼監に入る。楊漣の弾劾を魏朝・王安の弁護で切り抜け、名を忠賢と改めた。
- 忠賢は魏朝から秘術を学び陽根を回復させ、客氏を誘惑してこれに成功。客氏は忠賢に鞍替えし、魏朝と忠賢は乾清宮西暖閣で乱闘となり熹宗に発覚。熹宗は客氏に選ばせ、魏朝は宮外へ追放され、後に客氏の策謀で鳳陽への遣戍途上、絞殺された。
- 客氏は奉聖夫人に封じられ、子の国興は蔭官、忠賢の兄魏釗、客氏の弟客光先も錦衣千戸となった。
王安の失脚と死
- 司礼監王安は客・魏の専横を憂い、御史方震孺の弾劾にも同調して一時両人を退けさせたが、熹宗が両人を恋しがり復帰させた。
- 内侍王体乾が客氏に取り入り、給事中霍維華に王安を弾劾させ、劉朝・田詔らにも誣告させた結果、王安は降格の上、南海浄軍として自裁を命じられた。かつて光宗・熹宗を陰から支えた功臣であった。
忠賢の専横と迫害
- 王安死後、忠賢は王体乾・李永貞ら腹心を固め権勢を強めた。天啓二年の張皇后冊立の際、忠賢・客氏は蔭官・賜田を得たが、これを諫めた程注・周之綱・王一心・侯震暘らは処罰された。
- 吏部尚書周嘉謨も忠賢に阻まれ免官、劉一燝も辞職に追い込まれた。葉向高の諫言も熹宗には届かなかった。
- 大学士沈㴶は忠賢と結び宮中に内操(禁軍演習)を始めさせ、その騒音で生後間もない皇長子が驚死する事態も起きた。忠賢に逆らった鄒元標・文震孟・馮従吾らは斥けられ、代わって顧秉謙・魏広微ら忠賢の追従者が入閣した。
後宮での迫害
- 客氏は光宗の趙選侍を自尽に追い込み、裕妃張氏には讒言により無実の罪を着せ、飲食を絶って餓死させた。馮貴人も内操停止を進言したことで自尽を強要された。成妃李氏も幽閉されたが食物を隠していたため一命をとりとめた。
- 張皇后は客・魏の悪事を熹宗に訴え続けたが疎まれ、趙高伝を読んで諷諫を試みても効果はなかった。客・魏は皇后の懐妊中に侍女を使って堕胎を謀り、熹宗はこの一件以降嗣子を絶つこととなった。
評語
- 巻末の詩は、王聖・趙嬈(後漢の乳母)や江京・曹節(後漢の宦官)に比しても客氏・魏忠賢の悪はなお甚だしいとし、この一件で明の皇統が絶えたことを嘆いている。