明史演義第八十四回 王化貞、広寧堡を失守す/朱燮元、巧みに呂公車を撃つ (王化貞失守廣寧堡 朱燮元巧擊呂公車)
客氏・魏忠賢による張皇后への謀略
- 客氏・魏忠賢は張皇后を廃そうと、皇后が獄中の海賊の娘であるとの流言を作り、安樂堂へ移そうと画策したが、客氏の母に諫められて一旦見送られた。
- 熹宗は器用貧乏で細工物にのめり込み、政務は魏忠賢に任せきりだった。硃筆で決裁すべき文書まで魏忠賢に委ね、魏閹が権力を恣にする素地となった。
- 魏忠賢と客氏は宮中に隣接して邸を構え、淫らな関係を続けながら政敵の排除を謀った。客氏の贅を尽くした生活ぶりが描かれる一方、張皇后だけは時流に流されず古風を守った。
遼東の危機と熊廷弼・王化貞の対立
- 遼東経略の熊廷弼は守りを固めていたが剛直さゆえに讒言を受け、魏忠賢の意を受けた姚宗文の誣告で罷免された。後任の袁應泰は軍規を緩め、投降した満洲の飢民を城内に入れたことが仇となり瀋陽・遼陽を失陥、応泰は自害した。
- 廷弼が再起用されるが、遼東巡撫王化貞と主戦・主守で対立。兵部尚書張鶴鳴は化貞を信任し、廷弼を後援役に押し込めた。化貞は自信満々に広寧へ進出したが、満洲軍の侵攻で部将の孫得功が寝返り、広寧はあっけなく落城、化貞は辛くも脱出した。
- 廷弼は化貞と合流するも兵はわずかで、五千の兵を化貞に託して難民十万人を関内へ護送した。敗戦の責任を問われ、廷弼・化貞ともに捕らえられ、張鶴鳴も辞職した。
孫承宗の登用と王紀・沈㴶の争い
- 御史左光斗の推挙で孫承宗が兵部尚書兼東閣大学士として起用され、王之晉に代わり自ら督師を志願。関外の防備を再建し、満洲軍を寄せ付けぬ堅陣を築いた。
- 熊廷弼・王化貞の断罪をめぐり、刑部尚書王紀は廷弼の功を酌んで減刑を主張したが、閣臣沈㴶と対立。魏忠賢の讒言で王紀が削籍され、葉向高・朱国祚らが不公平を訴えたが容れられず、両者とも辞職に追い込まれた。
四川・奢崇明の乱と朱燮元の成都防衛
- 天啟元年、永寧宣撫使奢崇明の一族樊龍が巡撫徐可求を殺害して重慶を占拠し、崇明父子も呼応して蜀中を席巻、成都に迫った。
- たまたま入朝の途にあった左布政使朱燮元が蜀王に引き留められて城に戻り、周著・林宰らと守りを固めた。敵の攻城兵器を焼き払い、内応の企てを見破って処刑するなど、燮元は寡兵で十余日にわたり城を守り抜いた。
- 女将軍秦良玉が援軍として駆けつけ、弟・姪を率いて南坪関を扼し、忠州を守る一方、自ら成都に進んだ。崇明軍の「呂公車」という巨大攻城兵器は、燮元が用意した大砲でこれを撃破し、指揮官を討ち取って敵陣を崩した。
- 裨将の羅乾象が燮元に内通し、崇明を城壁へ誘い出す計を仕掛けたが崇明は察知して逃走。乾象は城内で放火して味方につき、成都の囲みは解けた。燮元は四川巡撫に昇進し、諸城を回復して重慶を包囲した。
秦良玉の重慶攻めと樊龍の敗走
- 重慶では樊龍が九か月にわたり堅守していたが、朱燮元は秦良玉に間道からの奇襲を命じた。良玉は背後から敵陣に切り込み、正面の杜文煥らも呼応して敵を大破、二郎関・佛図関を落として重慶に迫った。
- 糧道を断たれた樊龍は開門して逃げ出そうとするが、四方から包囲される場面で本回は終わる。