明史演義第八十一回 翠袖を聯ね相約し栄封を乞う/紅丸を服し即夕大命傾く (聯翠袖相約乞榮封 服紅丸即夕傾大命)

熊廷弼の起用と葉赫の孤立

  • 楊鎬の大敗を受け逮捕・弾劾され、代わって熊廷弼が兵部侍郎として遼東経略に任じられた。廷弼は敗残兵を鎮撫し、逃亡将を処罰、城の防備を固め十八万の兵を要所に配した。
  • ヌルハチは守備の堅さを見て葉赫攻略に転じ、葉赫は援軍も尽きて滅亡寸前となった。

神宗の崩御

  • 神宗は辺境の危機にも朝見せず引きこもり続けた。王皇后が崩御し、まもなく神宗自身も重病となる。楊漣・左光斗らが方従哲に見舞いを促し、ようやく皇太子・群臣の見舞いが実現した。
  • 神宗は英国公張維賢・方従哲ら重臣を召して遺命を託し、まもなく崩御。礦税の廃止、建言得罪者の復官などを遺詔とした。皇太子常洛が即位し光宗となる。神宗の在位は四十八年、明朝最長であった。

光宗の新政と冊立問題

  • 方従哲が沈㴶・史継偕を入閣させた(沈㴶は後に宦官魏進忠と結ぶ)。
  • 鄭貴妃は光宗の歓心を買うため美姫八名と宝玉を献上し、光宗はこれを喜んで受け入れた。西李選侍は鄭貴妃と結び、貴妃は皇太后位を、選侍は皇后位を望んで画策した。
  • 光宗は一度は鄭貴妃を皇太后とするよう諭したが、侍郎孫如游が「先帝の遺命ではない」と強く諫めて撤回させた。

崔文升の誤投薬

  • 光宗の病に対し内医崔文升が下痢を促す薬を誤投し、病状は急激に悪化した。世間は鄭貴妃が文升に指示したと噂した。
  • 楊漣・左光斗が鄭貴妃の甥鄭養性に迫り、鄭貴妃を慈寧宮へ移させ、皇后冊立の前命も撤回させた。韓爌・劉一燝ら新任閣臣が入直し、楊漣は崔文升を厳しく弾劾する上疏を提出した。

冊立問題と紅丸事件

  • 光宗は群臣を召し、李選侍を皇貴妃に加封しようとしたが、その最中に選侍自身が屏の陰から皇長子を呼び「皇后に」と訴えさせる一幕もあった。
  • 鴻臚寺丞李可灼が「仙方」を献じ、光宗は方従哲の懸念にも構わず服用。一時は快方に見えたが、二度目の丸薬服用後、光宗は急死した(紅丸案)。
  • 楊漣が皇長子の所在を問い質し、李選侍が皇長子を手元に留めようとしたが、劉一燝・張維賢らが皇長子を文華殿へ移し即位が定まった。梃撃・移宮・紅丸の三案が同時に世に問われることとなった。