明史演義張差を審し宮中疑案を析く/楊鎬に任し塞外全軍を覆す(第八 十回 審張差宮中析疑案 任楊鎬塞外覆全軍)

梃撃案の発端

  • 慈慶宮に乱入した男は薊州の張差と判明。巡城御史劉廷元が尋問したが要領を得ず、刑部郎中胡士相らの再審でも「李自強・李萬倉に柴草を焼かれた恨みで訴えに来た」との供述に止まった。
  • 内閣は葉向高が引退し方從哲・呉道南が入閣、罪を軽くまとめようとした。

王之寀の追及と真相の露見

  • 提牢主事王之寀が個別に張差を尋問し、「馬三舅・李外父に導かれ、老公公(宦官)に棗木棍を渡され慈慶宮を襲うよう指示された」との供述を引き出した。
  • 侍郎張達を通じて上奏したが留中とされた。御史過庭訓が薊州で調査すると「柴を焼かれた私怨による瘋癲」との地元報告が出て、事件を瘋癲事件として片付けようとする空気が強まった。

陸夢龍の再尋問と鄭貴妃側近の関与

  • 員外郎陸夢龍が張差に紙筆を与えて経路や関係者名を書かせたところ、馬三道・李守才、宦官龐保・劉成(いずれも鄭貴妃の内侍)の名が明らかになった。
  • 妃兄鄭国泰にも疑いが及んだが、給事中何士晋は国泰に自ら潔白を示すよう促す上疏を提出。
  • 神宗は疑いを鄭貴妃に突きつけ、貴妃は皇太子に泣いて弁明した。皇太子はこれを庇い、事を収めるよう奏請。

慈寧宮での親臣召見

  • 神宗は太子・皇孫らを伴い群臣を慈寧宮に召し、瘋癲事件として片付けるよう諭した。御史劉光復が異議を唱えて杖打たれかけたが太子が取りなした。
  • 結局、張差は磔刑、馬三才らは遠流、李自強・李萬倉は笞刑、龐保・劉成は内廷で杖殺され、王之寀は削職、何士晋は外調、陸大受・張達は処罰、劉光復は投獄された。陸夢龍のみ処罰を免れた。神宗が群臣に会ったのはこの時二十五年ぶりだった。

清太祖ヌルハチの興起

  • 万暦四十四年、清太祖ヌルハチが満洲で挙兵し天命と建元。その出自伝説(天女と朱果の伝承、布庫哩雍順の始祖伝説)が語られる。
  • ヌルハチの祖父覚昌安・父塔克世が明の李成梁とニカン外蘭の攻撃で死去し、ヌルハチは復讐を誓って挙兵。ニカン外蘭を討ち明との通好を得て建州衛都督に任じられた。
  • 満洲・長白山・東海・扈倫(葉赫・哈達・輝発・烏拉)の各部を統一し、葉赫のみが明に頼って抵抗を続けた。ヌルハチは明から離反して天命元年を称し、七大恨を掲げて撫順を攻略した。

楊鎬の遼東経略と薩爾滸の大敗

  • 方従哲の推薦で楊鎬が兵部尚書として遼東経略に任じられたが、清河堡陥落後も動かず、四路(杜松・李如柏・馬林・劉綎)に分けて総兵力二十余万(号して四十七万)を進発させた。
  • 杜松軍は吉林崖で全滅、馬林軍も三岔口で大敗、李如柏軍は戦わずして敗走、劉綎軍も満洲軍の偽装策に欺かれ全滅。朝鮮兵の多くは投降した。
  • 楊鎬は敗報を隠せず、勢い山海関に逃げ帰る他なかった。