明史演義第二十五回 長江を越え燕王京に入る/鬼門を出で建文国を遜る (越長江燕王入京 出鬼門建文遜國)
靈璧の壊滅と南軍の崩壊
- 何福・平安らが撤退しようとしたところに燕軍の号砲が偶然一致し、南軍は混乱の中で燕軍の急襲を受け全滅に近い被害を出す。副総兵陳暉、侍郎陳性善ら三十余人が戦死または捕縛され、平安も落馬して捕らえられた。何福のみ単身で逃れた。
- 南軍の精鋭はこの戦いでほぼ壊滅。黄子澄は大事去れりと嘆き、遼兵十万を調達して済南で鉄鉉と合流させ燕軍の退路を断つ策を上奏するが、楊文率いる遼兵は途上で燕将宋貴に急襲され壊滅、楊文も捕らえられた。
淮河渡河策
- 燕王は泗州を降し祖陵に参拝、父老を慰労する。淮河を渡ろうとするが盛庸が対岸に厳重に布陣しており、駙馬梅殷に道を借りようとするが拒絶され、使者は耳鼻を切り落とされて送り返される。鳳陽でも徐安に橋を壊され渡河できない。
- 燕王は策を案じ、邱福・朱能に密命を与え、自らは対岸で渡河を装って南軍の注意を引きつけ、その間に別動隊が上流から密かに渡河して南軍の背後を急襲。盛庸は落馬して負傷し小舟で辛くも脱出、南軍は総崩れとなり燕軍は淮南の戦艦をすべて奪取。盱眙・揚州を落とし高郵・通泰・儀真も帰順させ、長江まで進出した。
慶城郡主の和議交渉
- 京師は震撼し建文帝は徴兵を試みるが各鎮は動かず、方孝孺の献策で慶城郡主(燕王の従姉)を遣わして和議を打診させる。
- 燕王は郡主との対面で涙を流しつつも、割地には応じず、ただ孝陵参拝・奸臣誅殺のみを求め、偽りの和議で時間を稼ぐ意図を見抜いて拒絶。使者を通じ建文帝への恭順の意も伝えた。
長江渡河と京師陥落
- 建文帝は各地の勤王軍を集めるが燕軍の勢いは止まらず、燕軍は瓜州に進出。盛庸・徐輝祖の迎撃を退け、高煦の加勢もあり南軍を圧倒。都督僉事陳瑄は燕王に降り水軍を献上、侍郎陳植は部下の裏切りで殺される。
- 燕王は長江を渡り南軍を撃破、鎮江を落として京師に迫る。
- 建文帝は方孝孺の勧めで李景隆を糾弾しつつも和議交渉に送り出すが、燕王は奸臣の引き渡しを条件に拒否。諸王を介した交渉でも燕王の姿勢は変わらず、方孝孺は籠城策(民家を撤去し木材で城を固める)を進言するが効果なく、燕軍は京城に迫る。
- 齐泰・黄子澄は募兵と称して逃亡。左都督徐増壽が燕王内応の疑いで建文帝に手ずから斬られる。谷王穗・李景隆が金川門を開いて燕王を迎え入れ京城は陥落。
建文帝の出奔
- 建文帝は自殺を図ろうとするが、少監王鉞が太祖の遺命の篋の存在を告げる。篋の中には度牒三通(応文・応能・応賢)と剃刀・銀・逃亡経路を記した書があった。
- 建文帝は程済に髪を剃らせ、楊応能・葉希賢も剃髪して従う。宮中に火を放ち(皇后馬氏は焼死)、建文帝は鬼門から脱出、小舟で神楽観に至り、二十二人の随行者が集まる。
- 廖平の進言で随行を絞り込み、楊応能・葉希賢・程済の三人が常に帝側に、他六人が連絡役となる。史彬の手引きで呉江に潜伏するが、後に危険を察して雲南方面へ向かう。道中、貴州で二首の詩を壁に残した。
評語
(本回に評語なし)