民國演義第一一〇回 参戦を罷め機関を改設し、自治を撤し藩属を収回す (罷參戰改設機關 撤自治收回藩屬)

山東問題と排日運動

山東問題が未解決のまま国民の不満は収まらず、各地で排日運動が続く。山東の学生が日貨を調査中に日本人と衝突し警察に拘束される事件、膠済鉄道沿線での人畜税徴収に反発する農民の抗議なども起こる。政府は日本の圧力で排日取り締まりの通達を各省に出すが、日貨を買わないこと自体は違法ではなく実効は乏しい。上海租界での日本皇帝肖像掲揚に対する抗議、重慶での日章旗(菊花紋章)汚損事件なども発生し、日本側は謝罪と処罰を求めてくる。

対独・対墺講和と戦争状態の終結

巴黎講和会議で、陸徴祥ら中国全権は山東条項に反対して対独条約への調印を拒否したが、対墺条約には調印した。オーストリアは戦局悪化のため屈辱的にも調印を余儀なくされている。徐世昌は対独戦争状態の終結を布告する命令を発し、続いて対墺戦争状態の終結も布告する。広東軍政府も独自に対独講和を宣言し、山東条項の再考を訴える。

参戦処廃止と辺防処設置

段祺瑞は参戦督弁を辞するが実質的な権力は温存される。政府は参戦処を廃止して新たに督弁辺防事務処を設け、段祺瑞をその督弁に任命する。西北籌辺使の徐樹錚はすでに辺防駐箚として先んじて地歩を固めていた。

松花江への艦隊派遣とロシア軍との衝突

ロシア内乱の余波で吉林・黒竜江方面が動揺し、両省の督軍・省長は艦隊派遣を要請。政府は璦琿条約を根拠に、利綏・利捷・利通・利川・江亨・靖安の六艦を松花江・黒竜江へ派遣する。艦隊はウラジオストクでロシア側に阻まれ、達達島でも補給を妨げられたうえ、廟街付近で避寒しようとした際にロシア軍から砲撃を受け負傷者を出す。政府はロシア公使に強く抗議し、艦艇の安全通航を要求する。

外蒙古の自治撤回

庫倫辦事大員の陳毅は、外蒙古の王公らが自治撤回と中国復帰を願い出たと報告する。ロシアの内乱で外蒙古はロシアの後ろ盾を失い、重い借款にも苦しんでいたため帰順を望んだ。西北籌辺使の徐樹錚もこの動きに便乗し、自らの功績として中央へ打電する。徐世昌は外蒙古の請願を認め、自治撤回・旧制復帰を布告する命令を発し、あわせて博克多哲布尊丹巴呼図克図汗に加封の勅を下す。外交部はロシア公使に対し、旧条約は失効したと通告する。

徐樹錚の庫倫赴任

徐樹錚は冊封専使に任命され、副使の恩華・李垣とともに意気揚々と庫倫へ向かう。 (詩:たいした功もないのに功名を誇り、権謀にたけた徐樹錚を諷する趣旨)

評語

参戦処は目立った成果を挙げなかったが、当時参戦の立場を取らなければ巴黎講和会議に列席できず、外交はさらに困難になっていたはずで、段祺瑞の功績自体は否定できない。ただし段の誤りは徐樹錚を信任しすぎた点にある。徐樹錚が辺防を唱えたのも、陳毅の外蒙古帰順の功を横取りしようとしたのも、すべて己の権力欲のためであった。ロシアが外蒙古に迫っていたのも束の間、ロシア自身が内乱で自壊してしまったように、驕る者は長くは続かない。徐樹錚よ、己を智者と称するが、その智とは果たして何であったか。