民國演義第八十二回 公民を托し衆議院を搗乱し、改制を請い督軍団嘩聚す (托公民搗亂眾議院 請改制嘩聚督軍團)
劉存厚の免職と四川の後始末
劉存厚が中央の停戦命令を無視し督軍署攻撃を続けたため、政府はついに劉を免職とした。以後劉軍は撤兵し、王人文・張習の査弁使が現地入りして被災民の実情を調査、政府が賑済金を出した。
財政・交通両総長の疑獄
財政総長陳錦濤が次長殷汝驪を煉銅廠がらみの不正で告発する一方、陳自身も業者から不正資金を要求したとの訴えを受け、殷ともども免職・法廷送りとなった(殷は逃亡)。交通総長許世英も、津浦鉄道局の機関車購入をめぐる収賄事件の監督責任を問われ辞職、総検察庁に召喚され収監された。しかし司法総長張耀曾が検察側の手続き不備を批判し、結局許世英・陳錦濤とも釈放された。財政・交通の後任には李経羲を充てることが国会で承認された。
対独宣戦をめぐる督軍会議
段祺瑞は対独宣戦の実現に執心し、各省督軍・都統を招集して軍事会議を開いた。四月二十五日、孟恩遠の音頭で出席者は宣戦に賛成を表明。段は喜んで黎元洪に報告したが、黎は「宣戦は国会の議決事項」と冷淡に応じた。咨文には黎が渋々押印し、衆議院へ送付された。
請願団による議会への圧力
衆議院で審査予定が伝わると、様々な名目の「請願団」からの陳情書が殺到。五月十日の審査当日には数千人が院外に集まり、議員に詰め寄って暴行を働く事態となった。議長湯化龍が代表者と対話するも要領を得ず、最終的に段祺瑞・内務総長范源濂・警察総監吳炳湘らが警官・騎兵を動員してようやく群衆を解散させた。負傷議員や誤って殴られた日本人記者も出た。
内閣の総辞職と宣戦案の頓挫
事件後、司法総長張耀曾、外交総長伍廷芳、農商総長谷鍾秀、海軍総長程璧光ら国民党系閣僚が相次いで辞表を提出。黎元洪はこれを保留したまま放置した。段祺瑞は焦って衆議院を督促し続けたが、議員褚輔成の提案(内閣改組後に再審議すべし)が可決され、宣戦案は事実上棚上げとなった。
督軍団による憲法改正要求
宣戦案が進まぬことに怒った段系督軍団は、憲法上の不備を突く戦術に転じ、吉林督軍孟恩遠を筆頭に二十二名連名で「責任内閣の趣旨を損なう憲法条項(内閣不信任決議への制約、総理任免に副署不要とする案、両院議決案に法律と同等の効力を認める案)」を批判し、参衆両院の即時解散を求める呈文を提出した。
評語
かつて袁世凱が議会を脅迫し軍閥と結んだのと同様、段祺瑞もその轍を踏もうとしている。請願団による議会妨害も督軍団による議会糾弾も、その裏には主導する者がいる。議会の専横も問題だが、武人の専横はそれ以上に害が大きい。段は袁ほどの狡知もないのに同じ過ちを重ねており、国家多難の折にこの上誤りを重ねてよいものか。