民國演義第八十三回 電召に応じ辮帥調人と作り、国会を撤し軍官甘んじて副署す (應電召辮帥作調人 撤國會軍官甘副署)
段祺瑞の罷免と各督軍の反発
督軍団の呈文に返答がないまま、督軍らは天津へ引き上げ曹錕邸で密議、さらに徐州の張勲とも密約を結んだ。その直後、黎元洪は段祺瑞を国務総理・陸軍総長の職から罷免し、外交総長伍廷芳に総理代理を命じる通電を発した。この命令に伍廷芳が副署したことに、段祺瑞は「自分の副署なしの命令には責任を負わない」と通電。長江巡閲使張勲をはじめ各省督軍が「伍廷芳の副署は違法」と次々に抗議電を送り、国会も政府に説明を求める事態となった。伍廷芳は約法と前例に基づき応答したが、黎は督軍らの要求を無視し、王士珍を京津警備総司令に任じて備えを固めた。
甘粛の偽皇帝事件
寧夏護軍使馬福祥から、甘粛の匪賊吳生彥(自ら「統緒皇帝」を称した)を捕らえ処刑したとの捷報が届き、黎元洪は一息ついた。
李経羲の総理起用と督軍団の独立宣言
伍廷芳は各督軍から突き上げられ辞意を表明。黎元洪は李鴻章の縁者李経羲を新総理に起用しようとしたが、李は容易に応じなかった。その間隙を突き、五月二十九日、安徽省長倪嗣衝が中央からの独立を宣言。以後、張作霖・陳樹藩・趙倜・楊善徳・張懐芝・畢桂芳・曹錕・李厚基・閻錫山ら各省督軍が次々と同調し独立を表明、天津に軍務総参謀処を設けて臨時政府樹立の動きまで見せた。
張勲の入京要請
窮した黎元洪は、調停役を買って出た安徽督軍張勲(張勲は実は独立派に与していなかった)を頼み、上京を要請する命令を発した。張勲は喜んで承諾。この頃、議長湯化龍は身の危険を察して辞職、副総統馮国璋も辞意を表明するなど、政局は騒然となった。江西督軍李純が仲裁を試みたが功を奏さなかった。
張勲の要求と国会解散
六月七日、張勲は精兵五千を率いて天津に入り、李経羲と密談。国会解散と京津警備司令部の撤廃を調停の条件として提示した。黎元洪はまず警備司令部を撤廃したが、国会解散には躊躇。米国公使からも中国の政局統一を望む覚書が届いたが、決め手にはならなかった。張勲は三日以内の国会解散を最後通牒として突き付け、伍廷芳は副署を拒んで辞意を示した。窮した黎元洪は歩軍統領江朝宗に総理代理を命じ、江の副署で国会解散の命令を発した。
評語
段祺瑞の罷免に真っ先に反抗したのは張勲だったが、独立宣言では倪嗣衝・張作霖らを表に立て、自らは後から調停者として登場した。これは張勲が自身の宿願(復辟)を遂げる機会を窺っていたためである。黎元洪はそれを知らず頼みにし、まさに魔王を守護神と見誤ったに等しい。国会解散の副署を伍廷芳は拒んだが江朝宗は敢えて引き受けた。武人の胆力は大きいが、その後の変転を予見していたかは疑わしい。徳が才に勝てなかった黎元洪は、ついに脅迫に屈するに至った。