民國演義第八十回 憲法を議し内訌を生ぜしめ、外交を辦じ暗潮を惹起す (議憲法致生內哄 辦外交惹起暗潮)
徐世昌の調停と孫洪伊の免職
徐世昌が上京し黎元洪・段祺瑞の双方と会談した。黎は融和的、段は譲らぬ構えだったが、徐の説得で段は「孫洪伊を免職すれば徐樹錚も辞めさせる」と条件を出した。黎はしぶしぶ承知し、十一月二十日に孫洪伊を免職。徐樹錚も翌日辞表を出したが、実際は段の幕僚に留まり続けた。秘書長には張国淦が就いた。
中米借款と府院の確執の背景
徐樹錚が孫洪伊を責めた真因は、中米実業借款の秘密が漏れた一件にあった。中国・交通両銀行の兌換停止で商民の不満が高まり、財政総長陳錦濤が米国資本団から五百万ドルの借款交渉をまとめたが、秘密会議の内容が新聞に暴露された。民国二年の英仏独露日五国銀行団との先約に反するとして、独を除く四国銀行団が抗議書を提出。段・陳は情報漏洩を孫洪伊の仕業と疑い、これが孫免職の遠因となった。
国会の紛糾と議員の乱闘
参衆両院では憲法草案を巡って研究会派と益友社派が対立。十二月八日の省制大綱審議では、直隷議員籍忠寅と湖北議員劉成禺が言い争いの末に殴り合いとなり、籍忠寅・劉崇佑・陳光燾・張金鑒らが負傷。被害者側は総検察庁へ告訴した。さらに「公民」を名乗る孫熙沢らが憲法促成会を組織し議員を非難する通電を発したため、議員側は政府に取り締まりを要求した。
年末の督軍連名電
年の瀬に副総統馮国璋を筆頭に各省督軍・省長らが連名で長文の電報を政府に送った。内容は、大総統は総理を信任し実権を委ね、総理は誠意をもって政務にあたり、国会も法に則り自制すべきだとする調停論であった。
呂公望の失脚と浙江の動揺
一月一日、浙江督軍呂公望が免職となり、段系の楊善徳が後任、斉耀珊が省長となった。新任警察庁長への反発から浙江で騒動が起きたのを機に、呂は辞職に追い込まれ、楊が北軍を率いて入り騒動を鎮めた。護軍使には盧永祥が就いた。
対日交渉の難局
米国借款への対抗上、交通銀行は日本の興業・朝鮮・台湾三銀行から五百万円を借り入れた。加えて吉長鉄道案(路線経営権を日本側へ譲渡)、興亜公司の鉱山借款案(違約金三十万円を支払い改約)、厦門の日本人警察派出所問題(撤退させられず)、鄭家屯事件(日本人商人死亡を受け、師団長譴責・軍紀粛正・慰謝金支払い等五条件を呑んでようやく解決)が相次いで発生し、いずれも中国側が譲歩を強いられた。
独逸との断交論
独逸公使辛慈が、二月一日から無制限潜水艦作戦(海上封鎖)を実施すると通告してきた。これに対し外交部は抗議文を送るが、独逸側の回答は封鎖策撤回を拒否するものだった。段祺瑞は対独断交へ傾き、外交委員会を設けて梁啓超らも交え議論。梁の弁舌もあり多数が断交に賛成したが、黎元洪は慎重で、副総統馮国璋の意見も聞きたいと躊躇。三月四日、段が断交後の条件を協約国と協議するよう求めたところ、黎が「国会の承認が要る」と渋ったため、段は怒って天津へ去り、辞表を提出した。
評語
本回の趣旨は「意気」の弊害を説く。府院の対立が収まらぬうちに国会の党争が起こり、それが収まらぬうちにまた府院の対立が再燃する。国家の公器を私情でもてあそび混乱させるのは滑稽である。対外には弱腰で対内には強気という有様はなお見苦しく、家も国も和を失えば傾く。この回を読むにつけ民国の前途が危ぶまれる。