民國演義第七十七回 軍院を撤し統一に復帰し、国会を開き共和を再造す (撤軍院復歸統一 開國會再造共和)

湖南・広東問題の裁定

  • 黎総統・段総理は湘・粤両省の処理を協議し、陸栄廷を早急に広東へ赴任させ、湖南督軍は劉人熙が兼任することとした。
  • 湖南将軍・湯薌銘は独立宣言時に兄・湯化龍を通じ民党と五条件(都督承認、軍隊の一部引き渡し、民政府設置など)を約したが、袁氏死後に背約し、民党の反発で岳州に逃れた。後任の陸栄廷は赴任を渋り、結局劉人熙が政府に承認され、後に譚延闓に交代した。

禍首懲罰の名ばかりの令

  • 岑春煊・唐継尭らの督促を受け、政府は楊度・孫毓筠ら八名を法廷に送る旨の申令を出したが、段芝貴ら実力者は含まれず、逮捕令が出た時には当事者は既に出国しており、有名無実に終わった。

軍務院の撤廃と南北統一

  • 西南各省の首領(唐継尭・岑春煊・梁啓超・陸栄廷ら)は約法・国会の回復を受け、軍務院の使命は終えたとして連名で撤廃を布告した。
  • 黎総統は謝意を込めた復電を送り、七月二十一日には正式な命令で軍務院撤廃を認め、南北統一を宣言した。

広東問題の決着

  • 政府は陸栄廷・朱慶瀾の広東赴任を督促する一方、薩鎮冰を粤閩巡閲使として派遣し龍済光・李烈鈞双方を牽制した。
  • 龍済光は最終的に恩餉(退職金相当)を得て瓊崖へ去り、朱慶瀾が督軍印を受け取って広東問題は収束した。

山東の民軍問題

  • 山東では吳大洲・居正の民軍と将軍・張懐芝が対立していたが、政府の停戦命令後も張懐芝が民軍の県城を奪う事態が発生。国務院は曲同豊を派遣し、民軍を中央軍制に編入する形で事態を収拾した。

国会再開と黎総統の就任宣誓

  • 八月一日、留滬議員が北京に戻り国会の第二次常会が開会。参議院王家襄・王正廷、衆議院湯化龍・陳国祥のもと、黎総統が大総統選挙法に基づき正式に宣誓を行った。
  • 政府は公文書式・謁見の礼を簡素な旧制に戻し、袁氏時代の繁雑な様式を廃した。
  • 八月十四日、両院は国務総理(段祺瑞)の同意咨文の審議に入った。

評語

軍務院の撤廃により南北はようやく統一され、両院も再開して民国は中興の緒についたが、帝制の禍首が処罰されず、龍済光・李烈鈞の是非も明らかにされなかった。中央は苟安を、地方は自固を目的とするに過ぎず、まだ過渡期であって治世とは言い難い。根本の膿を出さねば、いずれ決壊の日が来るだろう。