民國演義第七十六回 段芝泉、重ねて閣員を組み、龍済光、久しく戦禍を延ばす (段芝泉重組閣員 龍濟光久延戰禍)

海軍独立への対応と国会議員の要求

  • 段祺瑞は南京将軍・馮国璋、淞滬護軍使・楊善徳に調停を命じたが、両者とも海軍側に同情的で中立の立場をとった。
  • 国会議員二百九十九人は連名で電を送り、三年約法は違憲な手続きで成立したものであり、元年臨時約法こそ本来有効であるから、命令による「廃止」ではなく当然の効力回復として明令を発すべきだと主張した。

元年約法の回復と黎元洪の連続下令

  • 段祺瑞は海軍というより議員の圧力に押され、黎総統と協議のうえ約法回復を決断。六月二十九日、黎総統は連続して数道の命令を発した。
  • 元年臨時約法の遵用と、憲法制定までの効力継続
  • 国会を八月一日より召集
  • 三年五月以降の条約は継続有効とし、その他法令は原則存続
  • 国民会議関連法令の撤回、参政院・肅政庁の廃止
  • 段祺瑞を国務総理に特任

段祺瑞の組閣と徐世昌への相談

  • 段は組閣にあたり徐世昌(東海)を訪ね、老練な意見を求めた。徐は総理就任を固辞しつつ、許世英ら人選には賛意を示し、要務として「北洋団体の結束」「中央威信の維持」「民党との旧怨の解消」の三点を助言した。
  • 黎総統の命により、唐紹儀(外交)、許世英(内務)、陳錦濤(財政)、程璧光(海軍)、張耀曾(司法)、孫洪伊(教育)、張国淦(農商)、汪大燮(交通)が任命され、段は陸軍総長を兼任。民党・官僚・中立の混合内閣となった。
  • 汪大燮の辞退により交通総長は許世英、内務は孫洪伊、教育は范源濂に改められた。

各省軍民長官の改称と特赦

  • 督軍(武)・省長(文)の呼称に統一し、各省の督軍・省長を任命し直した。
  • 頒爵条例・文官官秩令・懲弁国賊条例などを廃止し、政治犯を釈放。統率辦事処・軍政執法処も撤廃した。

四川の争い―陳宦と周駿

  • 周駿が成都に進撃し陳宦を圧迫。政府は蔡鍔を四川督軍に、陳宦を湖南督軍に転任させたが両者は対立を続けた。
  • 蔡鍔は使者を送り争いを止めるよう説いた。陳宦は退去したが、周駿はなお成都に居座り、陳宦配下の楊維を攻めて敗走させた。
  • 蔡鍔は病をおして羅佩金・劉存厚両軍を派遣し周駿を破り、自ら成都入りして秩序を回復した。

広東の争い―龍済光と李烈鈞

  • 広東督軍・龍済光は独立取り消し後も滇軍・桂軍と対立を続けた。滇軍司令・李烈鈞は龍軍と交戦し源潭で勝利、桂軍司令・莫栄新と合流して観音山で対峙した。
  • 政府は龍済光を庇いつつ李烈鈞には勲章と上将銜を与えて京へ召還する形で穏便に収めようとしたが、実質は龍を優遇する不公平な措置だった。
  • 唐紹儀・梁啓超ら広東出身の要人は連名で電を送り、龍済光の三年間の暴政(民財の掠奪・住民への圧政)を糾弾し、罷免を強く求めた。
  • 湖南でも軍民が政府の任命した督軍を拒み、独自に劉人熙を推挙する事態となり、黎総統・段総理は対応に苦慮した。

評語

旧約法の回復・旧国会の召集・袁氏の悪制の一掃は段祺瑞の政績と言えるが、閣員構成は民党・中立派・袁氏旧僚を三等分した折衷内閣であり、政見の相違から軋轢を生むのは必至であった。段は労を厭わぬが怨みを引き受ける覚悟に欠け、三派を混ぜ合わせて中立を装ったにすぎない。周駿と陳宦の争い、龍済光と李烈鈞の争いも、政府の優柔不断につけこんだもので、曲直を明らかにせず武力で決着をつける風潮が続けば、後に強者が権を恣にする恐れがある。