民國演義第三十四回 事を踵ぎ華を増し正式に任を受け、権を争い法を侵し越俎して員を遣る (踵事增華正式受任 爭權侵法越俎遣員)
正式就任式典
中華民国二年十月十日の国慶節、袁世凱は太和殿で正式に大総統に就任した。清朝皇帝の即位や朝賀に用いられたこの殿での就任は、清朝を継承する意味合いを帯びていた。式典では国楽と礼砲が鳴り響き、宣誓・宣言書の朗読の後、慶祝官による三度の敬礼が行われた。
外交団への謁見と閲兵式
続いて外交総長孫寶琦が各国公使を案内し、公使団を代表する挨拶と袁の答礼の言葉が交わされた。清室代表世続も謁見し、同様の礼が行われた。式典後、袁は天安門で陸軍総長段祺瑞の案内のもと各国公使を伴い閲兵式を行い、軍の統制ぶりを誇示して満足げな様子を見せた。
論功行賞と各国の承認
その日の午後、世続・徐世昌・趙秉鈞をはじめ、朱瑞・蔡鍔・胡景伊・唐継堯・閻錫山ら諸都督に勲位が授与され、議員の王家襄・章宗祥らにも勲章が与えられた。就任と同時に、ロシア・フランス・イギリス・ドイツ・オーストリア・イタリア・日本およびベルギー・デンマーク・ポルトガル・オランダ・スウェーデン・ノルウェーの各国が中華民国を正式に承認し、各官庁は祝賀の意を込めて公共施設を三日間無料開放した。黎元洪副総統も各方面から祝意を受けたが、簡素に応じるのみで多くを求めなかった。
総統選挙法の公布権を巡る対立
袁総統は、総統選挙法が自らの公布手続きを経ずに国会(憲法会議)から直接公布された事実に不満を抱いた。臨時約法に定める大総統の法律公布権を根拠に、国会が憲法や選挙法を勝手に公布するのは越権であると主張し、正式就任後に憲法会議へ抗議の咨文を送った。内容は、法律・憲法の制定には提案・議決・公布の三段階が必要であり、公布権は大総統に属するという趣旨であった。ただし国交承認問題を控えていたため、今回は特に咎めず追認する形をとりつつ、今後は必ず大総統の公布を経るよう釘を刺すものだった。
憲法起草委員会への委員派遣
憲法会議側は、直接公布は各国の通例であり総統の手続きを経る必要はないとして返答を保留していた。しびれを切らした袁総統は国務院を通じて施愚・顧鼇・饒孟任・黎淵・方樞・程樹德・孔昭焱・余棨昌の八名を憲法起草委員会に派遣し、意見陳述と今後の会議への出席を求める咨文を提出させた。委員会側は、立法権は国会にあり行政府の関与は越権であると反発したが、八名は総統からの正式な咨文を示して応じた。
評語
前半は袁の就任儀礼を詳細に描き、その威儀が臨時総統時代とは一線を画すものであったことを示し、後の帝制への伏線としている。後半の二つの咨文は、共和を専制に転じる下地を示すものである。民主国家であれば主権は国民にあり総統は公僕に過ぎないはずだが、袁は憲法の公布権を争い、委員を派遣して立法に介入した。袁の帝位への野心は内心にくすぶり続け、事が順調に運ぶにつれ次第に表面化していくのである。