民國演義第三十三回 弾劾に遭い国務員に改任され、公民を冒し大総統に脅挙さる (遭彈劾改任國務員 冒公民脅舉大總統)

国民党の失勢

参議院議長張継が辞職し、江西・南京の敗戦を受けた国民党議員の多くが北京を去ったことで、国民党は勢いを失い進歩党が台頭した。進歩党議員の提案により、政府に反抗する勢力を「四億人の公敵」として厳しく取り締まる決議がなされ、袁総統はこれを楯に黄興との関係を理由に国民党議員を追及した。

墺国借款密約の発覚

かねて秘密裏に進められていた墺国の軍需会社からの三千二百万ポンドの借款契約(軍需品購入を条件とする)が発覚し、議員たちは政府の違法行為として追及した。国務総理の座にあった段祺瑞は関与しないとして留任したが、後任の熊希齢内閣成立に伴い、借款の責任を問われた外交・財政・司法・農林・交通の各総長は軒並み辞職に追い込まれた。

熊希齢内閣の成立

熊希齢(熊鳳凰)が国務総理に任じられ、陸海軍以外の閣僚を刷新。外交に孫寶琦、内務に朱啓鈐、教育に汪大燮、司法に梁啓超、農林に張謇、交通に周自齊を配し、財政は熊自らが兼任、工商も張謇が兼務することで内閣が発足した。

国民党弾圧と集会禁止令

袁総統は国会そのものを制圧する意図から、まず国民党の地方組織を撤廃させ、江西・広東・湖南の議会を解散させた。議員伍漢持は天津で捕らえられ処刑され、徐秀鈞も捕縛の末に処刑、張継は海外に逃れて難を免れた。さらに湖南の会党を口実に、各省で人民の集会・結社を厳しく制限する布告が出された。

総統選挙法の制定

袁氏の意図は共和を専制に変えることにあると見抜いた者もいたが、取り巻きは早く帝位に就かせようと目論んだ。まずは正式な国会選出による大総統選出を先に行い、その後に皇帝に推戴する筋書きが描かれた。憲法起草委員会と憲法会議での議論の末、先に憲法を定めるか総統選挙を先にするかで紛糾したが、九月五日の衆議院投票で総統選挙を先行させる案が可決され、参議院もこれに続いた。十月四日、大総統選挙法が公布された。要旨は、満四十歳以上で十年以上国内に居住する国民に被選挙権があること、国会議員による選挙会で三分の二以上の出席・四分の三以上の得票で当選とし、それに満たない場合は上位二名による決選投票を行うこと、任期は五年で一度に限り連任可能なこと、副総統についても同様の手続きによることなどが定められた。

正式大総統の選出

十月六日、正式な総統選挙会が開かれた。二度の投票で袁世凱は最多得票を得るも法定得票数に届かず、参議院議長王家襄は議員たちに「今の情勢では袁氏を総統に選ばねば帝制復活を招きかねない」と説いて回った。三度目の投票でも決着がつかず決選投票に移ろうとした矢先、軍装めいた大勢の「公民団」が議場を取り囲み、「望まぬ人物が選ばれれば災いが及ぶ」と威圧。議員たちは已むなく袁世凱と書いて投票し、袁世凱が正式大総統に当選した。翌日の副総統選挙では黎元洪が一度の投票で当選し、国務院から各省へ通告、外交部からも各国公使へ正式に通知された。

評語

熊希齢は人材内閣と称されたが、実際には袁総統にとって単なる過渡的存在にすぎず、議会解散や議員殺害という違法行為が進む中で、いずれ袁の責を負わされる運命にあった。正式総統選出に際して議員たちが軍隊まがいの威圧に屈して迎合したのも、身の保身を優先した結果であり、後に悔いを残すことになる。