民國演義第十三回 中華を統べ法規を釐訂し、西蔵を征し捷報を欣聞す (統中華釐訂法規 征西藏欣聞捷報)
各省軍隊の整理と都督人事
- 民国初期は各省に複数の都督が乱立し(蘇州の程徳全、上海の陳其美、鎮江の林述慶、清江の蔣雁行、揚州の徐宝山など)、南京臨時政府が北京へ移った後は南方軍の整理が課題となった。
- 袁総統は黄興に南京留守として撤兵事務を委ね、王芝祥、続いて蔣作賓を派遣して協力させた。黄興の辞意が固かったため、江蘇都督程徳全に南京の事務を引き継がせ、黄興と孫文をともに北京へ招いた(孫文の遊説活動を牽制する意図もあった)。
- 民国元年7月以降の各省都督(直隷・馮国璋、奉天・趙爾巽、吉林・陳昭常、江蘇・程徳全、江西・李烈鈞、福建・孫道仁、湖南・譚延闓、河南・張鎮芳、陝西・張鳳翽、新疆・楊増新、広東・胡漢民、雲南・蔡鍔、黒竜江・宋小濂、安徽・柏文蔚、浙江・朱瑞、湖北・黎元洪兼任、山東・周自齊、山西・閻錫山、甘粛・趙惟熙署理、四川・尹昌衡、広西・陸栄廷、貴州・唐継堯署理)が定められた。
官制・法規の整備
- 官等(特任・簡任・薦任・委任の九等)、勲章制度(大勲章以下九等、陸海軍は白鷹・文虎勲章)、国旗・軍旗(五色旗・海軍青天白日旗、陸軍十九星旗)、礼式(男子は脱帽鞠躬、女子は鞠躬のみ)などが次々に制定された。
- 陸軍の編制(棚・排・連・営・団・旅・師)、海軍の官制、学校制度(小学・高等小学・中学・大学の四段階)、裁判制度(大理院を頂点とする四級三審制、刑事・民事の区分、主刑・従刑の刑法体系)なども整備された。
国会組織法と選挙法
- 参議院を改組して国会(参議院・衆議院の両院制)とすることが定められ、国会組織法が制定された。参議院議員は各省議会選出(各省10名)に蒙古27名・チベット10名・青海3名・中央学会8名・華僑6名を加え計294名、衆議院議員は人口比例(80万人につき1名)で各省定数を配分し計595名とされた。
- 両院の職権(建議・質問・査弾・答弁受理・請願受理・議員逮捕許可・院内法規制定など)や、選挙人・被選挙人の資格(納税額・不動産・学歴等)、初選・複選の手続きなども定められた。
尹昌衡のチベット出兵
- 選挙準備が進む中、四川都督尹昌衡がチベット動乱を報告し、自ら出征を志願。袁総統はこれを許可し、四川都督は胡景伊が代理することとなった。
- 背景には、清末に北京で冊封を受けたダライ・ラマが、光緒帝・西太后没後にロシアの誘いで独立を志向し、清朝により封号を剥奪されていたが、革命による混乱に乗じてチベットに帰還し独立を宣言、駐蔵の漢人排除を図った経緯があった。陸軍統領鍾穎の防衛でいったんは鎮まったが、後に華兵とチベット勢力が衝突し、後藏の江亜が陥落、里塘も一時失陥するなど戦況が悪化していた。
- 尹昌衡は自ら鎮撫使として出兵。統領顧占文がチベット軍の二方面からの攻撃を見破り、伏兵によってチベット軍を撃破し、里塘を奪還した。尹昌衡はこの捷報を受け打箭爐(康定府)に駐留した。
- 尹昌衡は現地で数人の美しい蛮女を側に置くなど、遠征の緊張の合間に艶福を得た様子も描かれる。
評語
- 本回は法規整備を通俗教育として紹介する趣旨で書かれており、国会組織法や選挙法の説明は、著者が読者への知識普及を意図したものである。
- 蒙古・チベットにも配慮した国会構成の記述から自然にチベット情勢の叙述へとつながる構成は、著者の巧みな筆致を示す。尹昌衡の出征は忠勇の士のようでありながら、蛮女を側室に迎える件は軍紀の緩みを暗に示唆しており、著者は褒めながらも諷刺を込めていると評される。