明季北略瀋陽陷 熹宗 天啟年間 魏忠賢の専権

魏忠賢の台頭

  • 魏忠賢、北直河間府粛寧県の人。乳母客氏と結託し、司礼監王安を殺すなど宮中の実権を掌握。熹宗の寵愛を利用し、閣臣魏広微・顧秉謙・阮大鋮らが次々にその党に加わった。
  • 崔呈秀・傅櫆・阮大鋮の献策により厳しい詔獄・拷問体制(鎮撫司の五等刑具)を整え、東林党とされる人々を一掃する策謀を進めた。

東林弾圧の名簿

  • 阮大鋮は「点将録」、崔呈秀は「天鑑録」を作成し、葉向高・楊漣・左光斗・魏大中・繆昌期ら東林とされる人々を名指しした。実際には東林と無関係でも魏党に与しない者(孫慎行・鄒元標ら)も同様に排斥された。
  • 逆に魏党に与した顧秉謙・王紹徽・崔呈秀ら二十数名の名も記録される。

群小、正人を陥れる

  • 傅櫆・梁夢環の献策により、葉向高の側近汪文言が捕えられ、許顕純の拷問を受けたが、楊漣・左光斗らの潔白を証言し続けたため口を封じるべく獄死させられた。天啟五年(1625年)四、五月、楊漣・左光斗・魏大中・周順昌・袁化中・顧大章らが逮捕された。

群小の封爵と生祠

  • 魏忠賢は粛寧侯に、甥の魏良卿は寧国公に封じられるなど一族が異例の栄達を遂げた。各地の巡撫・総督が競って魏忠賢の生祠を建立し、朝廷に額を求めた。兵部尚書霍維華らは忠賢の功徳を頌える上奏を繰り返した。

客氏・魏忠賢による妃嬪への迫害

  • 光宗の選侍趙氏は客氏・魏忠賢と不和で偽の詔により死を賜った。懐妊中の裕妃張氏も客氏の讒言で飲食を絶たれ餓死。成妃李氏は二子を産んだが早世し、自身も客氏らの怒りを買い宮人に落とされた。
  • 皇后張氏は聡明で客氏・魏忠賢に憚られ、懐妊中に宮人の不手際を装って害された。胡貴人も郊天の儀の際に急病を装って殺害された。

魏忠賢、張皇后を怒らせる

  • 順天府丞劉志選が皇后の父張国紀を弾劾した際、皇后が「趙高伝」を読んでいたことに魏忠賢が激怒し、皇后の父が信王擁立を謀ったと誣告して大獄を起こそうとしたが、王体乾の諫言により思いとどまった。

異人の歌

  • 天啟初年、朝天宮に泊まった道人が市中で「委鬼当朝立、茄花満地紅」(「魏」「客」を暗示する謎歌)と歌い、後にその予言が的中したと伝えられる。