舊唐書卷二百下 列傳第一百五十下 黃巢

曹州冤句の出身で、元は塩の密売を業とした黄巣(?–884年)。王仙芝の蜂起に合流し、その敗死後は自ら「沖天大将軍」に推戴されて南北を転戦、長安を陥落させて大齊皇帝を僭称した。唐軍の反攻により敗走を重ね、最後は狼虎谷で部将に討たれ、乱は平定された。

年表(10件)

蜂起と拡大

  • 黄巣は曹州冤句の人、元は塩の密売を業とした。乾符年間(874-879年)連年の凶荒で民が盗賊化、河南で甚だしかった。同郷の王仙芝・尚君長が濮陽で挙兵し曹・濮・鄆州を陥落させた(「金色の蛤蟆が眼を怒らせ、曹州を覆して天下が反す」の童謡が事前に流れていたという)。兗州節度斉克譲の討伐にも仙芝は陳・許・襄・鄧を転戦し老若を虜掠、その衆30万を号した。
  • 乾符3年(876年)7月江陵、10月洪州(部将徐君莒)を陥落。仙芝は符節を求めるも許されず、荊南節度招討使宋威・監軍楊復光の招諭を受け尚君長らが投降を願い出たが、宋威が功を横取りしようと闕下に送り処刑してしまい、賊は激怒し官軍を大敗させた。楊復光が残兵を統率、王鐸が招討使に代わり、乾符5年(878年)8月亳州を回復し仙芝を斬首した。
  • 君長の弟尚譲は兄の誅殺を怒り嵖岈山に拠り、黄巣・黄揆ら8人兄弟の数千に合流、1月余で数万に膨張。汝州陥落(刺史王鐐虜獲)、関東を掠奪。官軍はたびたび敗れ賊衆10余万、尚譲らは巣を王に推戴し「沖天大将軍」と号した。時の朝廷は僖宗が幼く号令が臣下に握られ、南衙北司の対立・朋党で人材登用が乱れており、これが黄巣に人心が流れた背景であったと記す。巣は檄文で朝政の腐敗を糾弾し士人の支持も集め、仙芝敗死後は沂州を陥として旧党を吸収した。

南下と長安占領

  • 招討の任にあった王鐸は攻略に消極的、代わって淮南の高駢が招討を請い都統加授が議されたが、巣は淮を渡り駢に偽降、駢の部将張璘を殺しその軍を併呑、南は湖・湘、交・広まで転戦。天平軍節度・官職を求めるも認められず、鄭畋・楊復恭は同正員将軍を提案するが盧携が反対、憤慨した巣は再び自ら安南都護・広州節度を求めるも拒絶された。
  • 疫病で兵の3、4割を失ったこともあり、広明元年(880年)北帰を決断、五嶺を越え湖・湘・江・浙を経て広陵に迫るも高駢は籠城、9月淮を渡り11月17日洛陽陥落(劉允章が迎接)。潼関に迫ると田令孜が10万で守備したが、実態は市井の民を寄せ集めた無力な軍で、潼関脇の「禁谷」の防備を怠ったため尚譲・林言の奇襲で潼関は陥落、博野都は京師に逃げ帰り西市を略奪した。
  • 12月3日夜、僖宗は開遠門から出奔し駱谷へ、田令孜・王若儔が禁軍を率い扈従。12月5日、賊が京師を陥落させた。

大齊の僭称と唐軍の反攻

  • 巣の軍は貧民に施しをして歓心を買い(尚譲の宣撫の言も記す)、12月13日僭位、国号「大齊」・年号「金統」とし(唐の衰運を説く符命の言辞を収録)、崔璆・楊希古・尚譲・趙璋を四相、孟楷・蓋洪を左右軍中尉、費伝古を枢密使、朱温・張言らを大将軍とした。
  • 中和元年(881年)2月、鄭畋が龍尾坡で尚譲を大破し諸鎮に檄を飛ばした。4月以降、涇原・河中王重栄・易定王処存・鄜延拓抜思恭・鳳翔鄭畋・邠寧朱玫・忠武の各軍が四方から包囲、12月には宰相王鐸も荊襄軍を率い到着、鄭畋配下の竇玫の夜襲が賊を悩ませた。
  • 京畿の民は山谷に逃れ耕作が絶え、米価暴騰の惨状となり、官軍・賊双方が民を売り食糧にする有様も記される。宰相崔沆・豆盧瓚は張直方邸に潜伏したが密告により一族誅殺、駙馬都尉于琮夫妻(広徳公主)も殺害された。
  • 中和2年(882年)王処存が一時京師を回復するも油断して再び奪われ、賊は坊市の民を大量虐殺(「洗城」)。9月同州刺史朱温が王重栄に降伏、11月李克用が代北の軍を率い河を渡り沙苑に駐屯。
  • 3年(883年)正月沙苑で黄揆を破り、2月林言・趙章・尚譲の10万援軍を梁田坡で撃破、華州を回復。李克用の騎兵が連夜京師を攪乱、4月8日渭南で決戦大勝、10日夜巣は敗走、翌朝李克用が光泰門から入城し京師を回復。巣は藍田・七盤路から関東へ逃走した。都監楊復光の献捷文(王重栄・李克用の武功を称える美文)を要約収録する。

滅亡

  • 5月、巣の先鋒孟楷が蔡州を攻め節度使秦宗権を破り攻城を続けたため宗権は賊に称臣、賊は陳州刺史趙犨に迎撃されるが孟楷は捕らえられ斬られた(巣は寵臣孟楷の死を深く悲しんだ)。巣は陳州を八仙営と称し百日包囲、周辺数十州は蹂躙され、飢餓の中で人を食う惨状が極まった(「舂磨砦」で人を臼に入れ骨ごと食う逸話)。
  • 中和4年(884年)李克用の山西諸軍が援軍に赴き、4月太康・西華で大勝、5月大雨で賊塁が崩壊し賊は離散を繰り返し、汴州・鄭州方面でも李克用に敗れ李用・楊景を捕獲。李讜・楊能・霍存・葛従周・張帰厚・張帰霸ら諸将が朱温(大梁)に降り、尚譲も時溥に帰順。賊内部の内紛で千人余に激減、克用の追撃を受け兗・鄆界に散った。巣は泰山に入り、狼虎谷で部将林言に巣とその弟鄴・揆ら7人が斬首され、妻子ともども徐州に送られ、乱は平定された。