舊唐書卷一百八十六上 列傳第一百三十六上 萬國俊
萬國俊
- 洛陽の人。詭計に長け、来俊臣と共に『羅織経』を作り宗族朝貴を陥れる威勢を築いた。天授二年(691年)、右台監察御史として俊臣と制獄を扱った。
- 長壽二年(693年)、嶺南の流人に謀反の疑いありとの密告を受け、国俊が現地で流人を偽って自尽を命じ、冤罪を訴える三百余人を水辺で一斉に処刑した。その後謀反の証拠を捏造して奏上したため、則天は劉光業・王徳寿・鮑思恭・王大貞・屈貞筠らを各道に派遣し同様の鞫問を行わせた。光業は九百人、徳寿は七百人を殺すなど競って残虐を極め、古い流罪の者まで無差別に殺された。則天は後に冤罪を知り遺族の帰還を命じたが、国俊らも祟りにあったように次々死んだ。