舊唐書卷一百八十六上 列傳第一百三十六上 侯思止

侯思止

  • 雍州醴泉の人。貧窮のため渤海の高元礼家に寄食していた無頼者。恆州刺史裴貞が判司を杖打った縁で舒王李元名と裴貞を反乱の罪で告発、周興が族滅させ遊撃将軍を授かった。元礼は思止に取り入り、「侯大」と呼びかけ入朝時の受け答えを指南、則天に「獬豸も文字を知らぬが邪を触れる」と答えて喜ばれ、天授三年(692年)朝散大夫・左台侍御史となった。官宅を辞退する演出も元礼の指南どおりで恩寵を得た。
  • 制獄を扱うほど苛酷になり、御史中丞魏元忠を「白司馬」「孟青」(処刑地・処刑将軍の名)で脅した。元忠が毅然と反論すると思止は恐縮した。侍御史霍献可がこの逸話を笑ったことを則天に告げたが則天も大笑した。
  • 来俊臣が旧妻を棄て太原王慶詵の娘を娶った真似をして趙郡李自挹の娘を娶ろうとしたが、鳳閣侍郎李昭德に「国を辱める」と嘲笑され、結局李昭德に搒殺された。