舊唐書卷一百八十六上 列傳第一百三十六上 索元禮

索元禮

  • 胡人。光宅初年(684年)、徐敬業が揚州で挙兵した際、則天の疑心に乗じ密告して遊撃将軍に抜擢され洛州牧院で制獄を推鞫した。一人を取り調べれば数十百人を引き込み、衣冠の士は狼虎より恐れた。則天は厚く賞し数千人を殺戮させ、周興・来俊臣らはこれを模倣した。告密者には駅馬と館舎を給し爵賞で誘い威を遠近に示した。過酷さがさらに増すと則天は人望を得るために元礼を処刑した。世に「来・索」と呼ばれた。
  • 載初元年(690年)十月、左台御史周矩は「拷問は苛酷を極め、推鞫の吏は皆深刻を功とし、告発された者は真に反したのではなく苦痛から自誣しているに過ぎない」と上疏して緩刑を求め、則天はこれに従い制獄はやや緩んだ。