舊唐書卷一百八十五下 列傳第一百三十五下 崔隱甫

崔隱甫

  • 貝州武城の人、散騎侍郎崔亻鹿の曾孫。開元初年、洛陽令として威名を得、開元九年(721年)華州刺史から太原尹に転じ人吏が石に美政を刻んだ。開元十二年(724年)河南尹、十四年(726年)御史大夫。中書令張説の専権を御史中丞宇文融・李林甫と共に弾劾し、説は政事を罷免された。
  • 職にあって剛正で忌避せず、旧来御史台各所に別に牢獄を設ける弊害を改め、統制を一元化した。憲司の慣行として上官の裁可を経ない専断も一切督責させ、忤う者は容赦なく貶黜、前後貶められた者は半数近くに及び群僚は畏縮した。玄宗は「御史大夫として海内が称職と認めている」と評した。
  • 張説との確執が政争化すると免官され母の看護に帰されたが、一年余で御史大夫に復し刑部尚書へ進んだ。母の喪で去官、開元二十一年(733年)太原尹に起復、河東采訪処置使を兼ね、再び刑部尚書・河南尹を兼ねた。開元二十四年(736年)東都留守として厳粛な政治を行い、人吏に感服され、まもなく卒した。