舊唐書卷一百八十五下 列傳第一百三十五下 李尚隱

李尚隱

  • もと趙郡の人、代々潞州銅鞮に住み、のち京兆万年に移った。弱冠で明経に度々及第し下邽主簿。景龍中、左台監察御史として、選挙を私する崔湜・鄭愔を李懐讓と共に弾劾し失脚させた。睦州刺史馮昭泰の誣告事件では他の御史が畏れて赴かない中、尚隠だけが赴き冤罪を晴らした。
  • 崔湜・鄭愔が復権すると尚隠は伊闕令に左遷されたが、両者の死後再び吏部員外郎に抜擢され、御史中丞として権勢を振るった王旭を弾劾し失脚させた。兵部侍郎、河南尹を歴任し、率直な性格と故事の記憶力で良吏と称された。
  • 開元十三年(725年)夏、妖賊劉定高の通洛門襲撃を察知できなかった責で桂州都督に左遷されたが、玄宗は「忠公は知っているが国法ゆえだ」と雑彩百匹を賜った。広州都督・五府経略使を経て賄賂を固辞し、「これは私の性分であり慎重を装っているのではない」と語った。京兆尹、蒲州・華州刺史、大理卿を経て御史大夫に至った。
  • 司農卿陳思問が小人を多く属吏に用い横領していたのを弾劾し失脚させるなど、三度憲官として朝廷の忌み嫌う者を除いた。開元二十四年(736年)戸部尚書・東都留守、二十八年(740年)太子賓客、まもなく七十五歳で卒し謚は貞。