舊唐書卷一百八十三 列傳第一百三十三 王子顏

莊憲皇后の父の系譜

  • 王子顔は瑯邪臨沂の人、荘憲皇后(憲宗の母)の父である。祖父の思敬は若くして従軍し太子賓客に累試された。父の難得は勇敢果断で騎射に長け、天宝初年、河源軍使となった。吐蕃の賛普の王子郎支都が勇者で誰も敵わぬ中、難得は槍を挟んで馬を馳せ郎支都を刺殺しその首を京師に伝えた。玄宗は召見し殿前で馬に乗り槍で刺す様を再現させ錦袍金帯を賜り金吾将軍同正員に累拝した。
  • 天宝七載、哥舒翰に従い吐蕃を積石で撃ち吐谷渾王子悉弄参とその子婿悉頬蔵を捕らえ、左武衛将軍・関西遊奕使に累拝した。九載、吐蕃を撃ち五橋を収め樹敦城を抜き白水軍使を補された。十三載、九曲の回復に従い特進を加えられた。
  • 安禄山の叛乱に際し哥舒翰に従い潼関で戦い、関門が守れなくなると肅宗に従い霊武に幸した。行在で軍賞が欠乏した際、難得は絹三千疋と金銀器などを進呈した。至徳初年、試衛尉卿・興平軍使・兼鳳翔都知兵馬使として京城回復戦に戦い、部下の靳元曜が戦の最中に落馬すると馳せて救い矢を眉に受けながら自ら矢を抜いて再び馬に乗り血まみれで戦い続けた。粛宗はこれを深く嘉した。郭子儀に従い相州で安慶緒を攻めた功で瑯邪郡公に累封され英武軍使となった。宝応二年に卒し潞州大都督を贈られた。
  • 子の子顔は若くして父の征役に従い金紫光禄大夫・検校衛尉卿に累官、后(荘憲皇后)を生んだ後に卒した。順宗の内禅後、后が憲宗を生んだことにより先代が褒贈され、思敬は司徒、難得は太傅、子顔は太師とされた。
  • 子顔の子重栄は福王傅、用は太子賓客・金吾将軍に至った。

  • 賛に曰く:外戚の一族で賢明な者は、寵を避け権を畏れるものである。禍患を恐れなければ、身を全うできる者は稀である。栄華に満ちた者は敗れ、権勢に驕る者は倒れる。武氏一族の中で惟良のみが、自然の道理をよく理解していた。