舊唐書卷一百八十三 列傳第一百三十三 柳晟

涇師の乱での機略

  • 柳晟は粛宗皇后(章敬皇后)の甥で母は和政公主。父の柳潭は太僕卿・駙馬都尉に至った。晟は若くして品行に問題があったが代宗は諸甥の中でも特に彼を養育し太子・諸王と共に学ばせ詩書を授け寵愛は比類なかった。太常卿を歴任した。
  • 徳宗は幼い頃からの学友として晟を特に親しんだ。涇師の乱に際し奉天への行幸に従った晟は「詔を受け京城に入り群賊を説得し離間させたい」と密かに願い出て徳宗は壮とし許した。晟は賊帥らと旧知の関係が多く出入りして誘導したが事が露見し朱泚に捕らえられ獄に繋がれた。晟は力があり獄中で垣を破り械を破って逃れ、髪を落として僧に身をやつし間道で行在に帰った。将作少監に遷り、元和初年、検校工部尚書・興元尹・山南西道節度使となった。任を退いて入朝した際、詔を無視した進奉を御史元稹に弾劾されたが詔で宥された。回鶻への冊立使を務め復命後、左金吾衛大将軍に遷り、元和十三年に卒した。太子少保を贈られた。